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2017年2月 2日 (木)

第258回 国境

今から45年ほど前、初めて飛行機に乗ってドイツに行ったときに、窓から下を見て驚いたことがありました。今はなきアンカレッジ経由の路線で、北海からオランダ上空を通ってドイツに入ったと思うのですが、窓から見えたヨーロッパが私の想像していたものとは違っていたのです。なんと飛行機の窓から下を見ても、国境線が見えないのです。もちろん海の中には線など引いてありませんし、陸地も森や畑が続いていているだけで、国境線は見えません。そして、何よりも国ごとに色分けがなされていないのです。

小学校のときに社会科の授業で白地図を色鉛筆で塗り分けたことがあります。地図帳や地球儀に載っている国もすべて色分けされていました。ところが、実際に見えるヨーロッパの姿は違っていました。「あっそうか、国境は人間が作ったものなんだ。」これは新鮮な驚きでした。日本にいるときには、海という自然の国境線に囲まれているものですから、国境を動かない所与の前提のように考えていました。

考えてみれば、どこの国の国境線も変化しています。そして、かつては領土を広げることが国益につながるという発想の下で、各国が競って領土を広げ、奪い取るために戦争を繰り返しました。ですが、人・物・金・情報の流通が自由になるにつれて、経済や文化の力は国土面積とは関係ないことがわかってきます。

第二次世界大戦で日本は、朝鮮半島などを失い、領土は戦前の52%になります。しかし、その後、経済規模では一時期、世界第2位まで成長しました。同様にドイツも東西の分断を受け、西ドイツの領土は戦前の42%になりましたが、その後、欧州一の経済大国になり、今やヨーロッパの欠かせないリーダーです。

フランスもロシアも国土を縮小して発展しました。国土面積と国力、国の豊かさや国民の幸せ度合とは無関係のようです。皆さんには、領土を国益の第一と考えるだけではなく、もっと多様なものさしを持ってもらいたいと思っています。複眼的な視点は法的思考力の基礎だからです

ドイツ在住中にベルリンに行きました。検問を越えて東側に入ると、すべてに精彩がなく、まるで白黒映画のような暗く重苦しい感じを今でも覚えています。街の中を走る高い壁は自分が生きている間には絶対になくならないと思いました。ところが、その強固な壁すら1989年には壊され、東西ドイツが統一されます。ここでも国の形が大きく変わったのです。国境線も国の形もそこで生活する市民の意思でいくらでも変わるのだと思い知りました。後に、「壁の向こうに仲間を作れば、壁は壁でなくなる」という言葉を聞いてなるほどと思いました。物理的な壁が問題なのではなく、私たちの心の問題だったのです。

当時のドイツでは労働力としてトルコから移民を受け入れていました。ドイツ人でもトルコ人でもいい人もいれば、いやな奴もいました。日本に帰国する際に、アテネ、カイロなどいくつかの都市を一人で寄り道しながら帰ってきたのですが、怖い思いもしたし、とても親切なアラブ人に出会ったりもしました。国や民族、宗教など本当に関係ない、要は一人ひとり、その人次第だということを子どもながら肌で感じました。そして国境なんてあまり意味ないなとも思いました。

そう、国は、既にそこにある変わらぬ存在ではなく、そこで生活している人間の意思と行動によって人為的に創り上げたものだったのです。だからこそ、国境や民族を巡ってひどいことも起こるけれども、それを修復するのも人間の力なのです。

トランプ大統領のように国境に壁を作ったり、特定の国の人々の入国を拒否したりするのも人間ですが、カナダのトルドー首相のように「多様性こそ私たちの強みです」と言って迫害とテロ、戦争から逃れてきた人々を歓迎するのも人間なのです。

もともと、海という自然の国境に囲まれ、難民の受け入れを事実上拒み続けている日本で生活していると、米国やヨーロッパ諸国の苦悩を理解しづらいことは確かです。ですが、これからはそれでは済まされない時代になろうとしています。

「ベニスに死す」などの作品を残したドイツのノーベル文学賞作家であるトーマス・マンは、「教養とは、人間は戦争してはいけないと信じること。自国のことのみを考えるのではなく、他国のことも深く理解すること」と言っています。どちらも日本国憲法の9条、前文に通じるものです。世界がこうした考えと逆行しようとしているときだからこそ、日本国憲法の先進性が際立つように思います。施行後70年たって、まだまだ世界の最先端を走っているのだと感じます。国力とは領土の大きさや軍事力などではなく、どんな理想を目指しているのかという理念の力が大きいのだと思います。

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