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2018年10月 2日 (火)

第278回 沖縄と幸福追求権

正直、ほっとしました。沖縄県知事選挙です。8万票ほどの差をつけて玉城デニーさんが当選しました。辺野古新基地建設を強行している政府は自民、公明両党が幹部を送り込み、党を上げてなりふり構わず佐喜真候補を支援していました。組織票では圧倒的に不利でしたし、デマ情報も飛び交い、辺野古問題を争点にしないようにする相手の戦術も功を奏しているとも言われていたので本当に心配していました。しかし、結果は、復帰後の知事選では過去最多票を得ての勝利でした。無党派層の7割が玉城氏に投票しました。辺野古新基地反対、安倍政権にノーを突きつけた県民の誇りと意地を見せてくれました。

普天間基地が世界一危険な基地だから辺野古に移転するのだと政治家がよく正当化します。しかし、嘉手納基地周辺では普天間の30倍もの事故が起きています。その嘉手納を放置しているのですから、本気で県民のために基地の危険性を除去する気があるとは思えません。米兵事件も沖縄全域で起きています。本土復帰後だけでも2017年までに約6千件起きています。年間130件にも上る米兵事件の犠牲を沖縄は強いられているのです。

基地問題だけでなく、自立経済の確立が沖縄の急務であることは確かです。県民の暮らしの厳しい現実は様々な指標からも見て取れます。大学進学率は39%で全国最低(全国では55%)、高校進学率も全国最低、社員の43.1%は非正規社員(全国は38.2%)、離職率も高く、3年目には高卒の約6割、大卒では4割強が離職し転職先を探している状況です。観光業が脚光を浴びていますが、年収100万円以下の低賃金に1万8千人がもがきながら日々を過ごしています。その上待機児童の割合も全国で最悪です。

沖縄はこうした現実をも乗り越えていかなければなりません。新たに生まれ変わるための困難も多々待ち受けていることでしょう。ですが、沖縄は可能性に満ちています。かつての基地依存経済は、基地返還後の跡地利用による商業拠点化、観光地化などにより大きく変貌しようとしています。太平洋のビジネス拠点、東アジアの物流拠点、高齢化社会を見据えての移住者用リゾート、エコツーリズム、医療ツーリズムなどの新しい観光拠点となっていく可能性を秘めています。

ところが、こうした沖縄の発展も沖縄が自分たちで決めることができません。米軍基地問題、最近の宮古島、石垣島などの自衛隊ミサイル基地問題は、沖縄の民意を無視して、「本土の民意」によって負担を押しつけられています。今回の知事選挙によっても沖縄の民意が明確に示されたのですが、国はその民意を尊重しようとする気配を全くみせません。「沖縄のことは沖縄で決める」という当たり前の地方自治の本旨が沖縄ではなかなか実現しません。産経新聞は社説で、「米軍基地を国内のどこに置くかという判断は、国の専権事項」だとし、それに従うのが民主主義の基本だという観点から玉城氏に「防衛の最前線である沖縄の知事である自覚をもってほしい」と述べています。地方自治の本旨や憲法95条の精神など全く無視して、国民の多数が決めたことに地方が従うのが民主主義と言わんばかりです。

ここには、ヤマト(本土)の人間の幸福追求権のためには、沖縄の幸福追求権は無視してもかまわないという発想が見て取れます。その発想は、国民の幸福追求権のためには集団的自衛権行使も必要だという2014年閣議決定、そして自衛権行使を認めるのも幸福追求権のためだという政府の見解にも共通するものがあります。安保の負担は沖縄だけに押しつけてその利益は全国で享受する。それが本土の国民にとっての幸福追求権なのでしょうか。

そもそも幸福追求権(憲法13条)を根拠に自衛権を説明することは正しいのでしょうか。 木村草太教授は、憲法13条後段に基づき、個別的自衛権を行使する自衛隊を合憲とします。同条は、「国民の生命、自由、幸福追求の権利」が「国政の上で最大限尊重される」と定めているところ、「この『文言を素直』に読む限り、日本政府は、犯罪者やテロリストからはもちろん、外国からの武力攻撃があった場合も、国民の『生命』や『自由』を保護する義務を負っている。外国の武力攻撃を排除するには、外国に対する実力行使すなわち武力行使が必要になる場合もあろう。」とされ、「『憲法13条で、憲法9条の例外が認められる』という解釈は、憲法の文言の『素直』な理解であり、帰結も『自然』である。また、多くの『国民の理解』もある。」(2016年7月2日 現代ビジネス「いまさら聞けない『憲法9条と自衛隊』~本当に『憲法改正』は必要なのか?」より)と結論づけています。

この説明は、戦力不保持規定をもたない国の、軍事力の実質的根拠の説明としては説得的かもしれません。しかし、悲惨な戦争を経験した日本国民は、自らの生命・自由・幸福追求、ひとことでいえば自らの個人としての尊厳を確保するために、あえて、9条を日本国憲法のなかに規定しました。外国からの武力攻撃を排除するための武力行使を13条で根拠づけることを9条の存在自体が否定したのです。仮に国に国民の幸福追求権を実現する義務があるとしても、それは軍事力以外の方法によることを9条は国家に義務づけていると解すべきなのです。

そもそも13条は本来的には、国家に対して、国民の幸福追求権を侵害することを禁じている自由権規定であり、社会権規定のように国家に幸福追求権を実現する作為を義務づけているものではないはずです。仮に国民の幸福追求のために国家はどんな行動をとることも許されるというのであれば、国民の幸福追求のために、海外での軍事行動も許されることになってしまいます。自存自衛のための戦争すら国民の幸福追求のためとして肯定されることになることでしょう。日本を取り巻く安全保障環境の変化によって、国民の幸福追求のために必要だからという理由で、集団的自衛権行使容認の閣議決定や法律制定が行われました。13条を根拠に自衛権を基礎づけるとそこには何の歯止めもかけられません。そして、国民の幸福追求のためだという理由で人々の人権を制限することも可能になります。13条は政府にとっては、国民の自由を制限するときにまことに都合のいい規定にもなってしまうのです。同じ理屈で、本土の幸福追求権が沖縄の幸福追求権を侵害してしまうのです。

国家に国民の幸福追求を支援する責任があるとしても、あくまでも憲法9条の枠内でそれを実現することを憲法は要求しているのです。13条があることは戦力を持つことの決定的な理由にはなりません。それと同じく、外交防衛が国の専権事項だからといって、本土が決めたことに沖縄という地域が無条件で従わなければならない理由もありません。地方自治の本旨(住民自治・団体自治)という憲法上の歯止めがあるはずなのです。

今回の知事選では、米軍統治下の沖縄で米兵を父に持つ母子家庭で育った玉城氏が、多様性の尊重を訴えました。独自の子どもの貧困対策も実体験に基づくもので説得力がありました。これまで歴代の沖縄知事は本土からの無知、偏見、不条理と闘ってきました。玉城知事には多様性への無知、偏見からくる攻撃もあることでしょう。負けないでほしいと思います。多様性を認め、一人ひとりの個性に応じた幸福追求権を保障することこそが憲法価値の実現につながります。本土の一市民として玉城知事の多様性尊重の姿勢を支持、支援し続けていきたいと思っています。

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