真の法律家・行政官を育成する 「伊藤塾」 株式会社 法学館

2019年1月 1日 (火)

第281回 謹賀新年

一昨年の雑感268号で自衛隊明記の改憲について、「一人でも多くの国民が、「災害救助で頑張っている自衛隊がかわいそう」などという感情論に流されないでほしい、ここに指摘したことが杞憂に終わることを心底願っている」と書きました。その気持ちは今でも変わりません。それどころかますます危機感を強く持っています。新年早々、物騒な話はやめてほしいという塾生もいることかと思います。政治と宗教の話は遠慮するという日本の風土が、自立した市民となることを遠ざけてきたと考えているものですから、不興を買うのを承知であえて、正月からこんな話題で書いています。

おさらいです。まず「自衛隊明記」の改憲によって何も変わらないというウソはいけません。たとえば、9条に関する改憲案について、自民党内で検討されている有力なものは、9条はそのままにした上で、次のような9条の2を追加するというものです。

第9条の2 (第1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。 (第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

この9条の2の1項は前段と後段に分かれますが、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」という前段部分は、「後法は前法を破る」という法原則によって、形式的には残される9条が上書きされ空文化することになります。自衛隊の存在は合憲となりますが、それと同時に「国及び国民の安全を保つため」という名目で戦力の保持も交戦権も「必要な自衛の措置」として認められることになります。仮に「必要最小限の自衛の措置」とされたとしても必要最小限という文言は気休めに過ぎず、歯止めにはなりません。フルスペックの集団的自衛権行使も核兵器保持も必要最小限の自衛の措置として認められることになります。

1項後段の「そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」という部分は、まさに自衛隊の保持を明記する規定となります。これにより自衛隊が憲法上の組織に格上げされることになりますが、国会、内閣、裁判所などに並ぶ憲法上の組織となることで、これまでとは桁外れの独立性と権威が自衛隊に与えられることになります。この規定を根拠に自衛隊の活動範囲が広げられ、防衛費がさらに増加し、軍需産業を育成して武器輸出も促進され、自衛官の募集が強化され、教育現場では国防意識も浸透させられ、大学等に学問や技術の協力を要請していく等、高度国防国家をめざして、社会のすみずみまでが軍国主義化していく危険があります。

そして、「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊」と規定されることから、総理大臣による文民統制が及ぶようにみえますが、逆にこの規定は総理大臣が自由に自衛隊を動かす根拠規定にもなり、あたかも戦前の統帥権が復活したかのようで極めて危険です。2項において「国会の承認その他の統制に服する。」と規定されますが、これは国会以外の統制でもよいとする根拠になります。政治家の方が好戦的であるといわれる今日、文民統制は幻想だと考えておいた方がよいと思われます。

一方で、自民党内の議論では、「歴代政府の九条解釈を維持したまま、内閣統制下の自衛隊であることを明記する」案も提案されていました。すなわち、

第9条の2 前条の範囲内で、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため、法律の定めるところにより、行政各部の一つとして、自衛隊を保持する。 とするものです。

確かに、「前条の範囲内」とすることで9条が上書きされ削除されるのを避けられているように思えます。しかし、先に述べたように、自衛隊を憲法に明記することによる様々な弊害は、そのまま残ることになります。そして、そもそも、自衛隊を明記したとしても、違憲の疑いは払拭されません。自衛隊がなぜ違憲の存在と指摘され得るのかというと、自衛隊の現実の装備や活動などが戦力不保持、交戦権否認という禁止規範(9条2項)に抵触し得るためです。これを違憲と指摘されないようにするには、大前提となる禁止規範を変更するしかありません。つまり、法的規範としての意味そのものの9条2項を変更し、戦力保持を許すか、例外を認めるしかないのです。よって「何も変わりません」とすることと、「自衛隊の違憲の疑いをなくす」とすることは両立しないのです。にもかかわらず、「自衛隊明記」の改憲によって何も変わらないといって国民を欺すようなことは許されません。

これまで日本の政策はかなりの部分がアーミテージ・ナイ報告というアメリカのシンクタンクの提言のとおりに進んできました。原発推進などのエネルギー政策はもちろん、「武器輸出三原則」の緩和、集団的自衛権行使などの防衛政策も基本的にはこれに従っています。昨年10月に4回目のレポートが発表されました。そこでは米軍との一体化をより強固なものにするために合同機動部隊や合同作戦司令部の創設、武器の共同開発を求め、自衛隊が米軍の一部として相応の軍事的役割を担うことや自衛隊基地、民間施設を米軍が軍事使用できるように要求しています。 自衛隊は専守防衛を踏み越えて敵基地攻撃もできる強力な打撃力を持つようになりました。護衛艦「いずも」の空母化、長距離巡航ミサイル保有、戦闘機など米国製武器の大量購入など自衛隊がどんどん変質していっています。そうした中での自衛隊明記の改憲です。ぜひ皆さんの健全な想像力を発揮してほしいと思います。

ある雑誌の取材で、私の強みを聞かれ「きれいごとをまともに言い続けられる単純さ」と答えました。塾生の皆さんに「やればできる!必ずできる!」と激励するのもそうですし、憲法価値を語り続けるのもその一環です。「そんなのはうまくいかない」と斜に構える人が多い中で、「平和や自由っていいよね」と言い続け、「憲法9条なんか今時お花畑」と小馬鹿にされても、非軍事中立という理想を説き続ける。そういうピエロのような存在がいてもいいと思っています。きれいごとを真正面から言い続けるのは、相当エネルギーのいることですが、発言し続けることに意味があると思っています。

今年は、5月に元号が変わります。元号には賛否両論ありますが、これまで用いられてきた「平成」は、国の内外、天地とも平和が達成されるという意味だそうです。平成の30年間、日本はそれなりの平和を維持してきました。あくまでも「それなりの」平和でしかありませんが、それでも日本国憲法の存在が大きかったと思います。平成が終わっても日本国憲法の核心を終わらせてはなりません。わたしたち一人ひとりが自分の頭で改憲について考え、さらにまわりを巻き込むべき時期に来ていると思います。

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