真の法律家・行政官を育成する 「伊藤塾」 株式会社 法学館

2019年12月 5日 (木)

第292回 感謝と責任

先月末、秋田弁護士会主催で「イージス・アショアからみた憲法問題」という講演をしてきました。イージス・アショアとは、イージス艦のレーダー、指揮通信システム、迎撃ミサイル発射機などで構成されるミサイル防衛システム(イージス・システム)を、陸上に配備した兵器で、大気圏外の宇宙空間を飛翔する弾道ミサイルを地上から迎撃する能力を有しているとされています。これが、山口県萩市のむつみ演習場と秋田県秋田市の新屋演習場に配備されそうなのです。

講演の後、「対中国や北朝鮮との関係で日本防衛のために必要なものなのだから、日本のどこかに置かなければいけないのではないか」という質問をいただきました。まず、本当に日本防衛の為の兵器であるのかを疑って掛かるべきでしょう。萩は北朝鮮からグアムに向かうミサイルの軌道の下ですし、秋田はハワイへ向かうミサイルの軌道の下です。ちょっと偶然にしてはできすぎています。

私は、これまでの日本の防衛政策の対米従属を考えると、決して日本の国土防衛が目的であるとはいえないと考えています。アメリカのミサイル防衛のある専門家は、「日本は“不沈空母”から太平洋を守る“巨大なイージスの盾”に生まれ変わりつつある 」と指摘します。イージス・アショア問題の背景には、アメリカ本土を「防衛」するために日本を「巨大なイージスの盾」とするアメリカの世界戦略があることは明らかでしょう。

ちなみに、”不沈空母”は先月、101歳の長寿を全うして亡くなった中曽根康弘元首相の言葉です。原発を平和利用という名目で推進する立役者にもなりました。1983年にアメリカのロナルド・レーガン大統領が打ち出したミサイル防衛構想(SDI構想)について、それが上空で核爆発を起こすものであるにもかかわらず手放しで賛成した人でもあります。しかもそれを「我が国の平和主義に違背するものではない」と強弁した答弁も残っています。

さて、イージス・アショアが仮に日本防衛のためであるとしても本当に必要なものなのかはしっかりと検証しなければなりません。現在ですら迎撃の性能は3回に1回成功した程度ですし、効果は疑わしいものです。そもそも超音速のミサイルを開発している中国に対しては無力となる可能性が極めて高いものです。中国は米国以上の数の偵察衛星を保有していますし、10万人以上のサイバー部隊を抱えています。5Gをはじめとして米国の技術をとうに凌駕しているという評価もあります。

軍事技術競争はイタチごっこですから、「強い盾」を開発すればより「強い矛」を開発されるだけです。そして利益を得るのは軍需産業だけという構図が見えてきます。昨年末に導入が閣議決定されていますが、今年7月の防衛省の発表によると1基あたり1340億円、今後の維持運営費を加えると、2基総額は約4664億円になるそうです。ちなみに生活保護費を月額8万円から7万円に減額して得た金額が約160億円だそうです。どこに税金を使うのが国民・市民のためなのかを私たち自身が本気で考えないといけないように思います。

そして、何よりも仮に国土防衛に役立ったとしても、地域住民の生命、健康、財産を犠牲にすることが許されるのかという視点を忘れてはなりません。ルーマニアに既に配備されているイージス・アショアは、約9万平方㎞の基地内にある米軍基地の中に設置されており、周辺は広大な原野で民家もありません。ところが秋田は県庁などの中心地から2~3キロですし、そもそも住宅、高校、病院など市民の生活区域に隣接しています。住民被害は深刻なものになりそうです。レーダーが発する電磁波を浴び続けると、癌、白血病、鬱病などを引き起こすおそれがあり、小児の行動や発育に影響を与える可能性があると指摘されています。

防衛省からは電波環境調査の結果として人体への影響なしと発表されていますが、この調査で使われたレーダーの出力はイージス・アショアの100分の1でまるで意味がありません。このような調査結果で問題ないと言われても納得できる人はいないでしょう。憲法が保障する人格権(13条後段)の核心である生命・身体に不可逆的な影響を及ぼすことが懸念されるのであれば、科学的な因果関係が不明であっても予防原則に則ったアプローチがされるべきです。

予防原則とは、科学的には不確実な環境リスクであっても、生じ得る損害が、重大又は回復不可能な損害のおそれがある場合には、そのリスクの具現化を防止する措置を講ずべきであるとする環境法政策の原則をいいます。実際に使用される機器が発する電磁波が健康被害等を起こさないかどうか、十分な科学的調査がされるべきですし、電磁波のリスクが不明であればそもそも配備は中止されるべきです。

そしてイージス・アショアは、当然に相手国の攻撃の標的になります。ロシアとの中距離核戦力廃棄条約を8月に破棄したアメリカは、中距離核ミサイルを大量に保有する中国とのパワーバランスから、中距離弾道ミサイルを沖縄かイージス・アショアが設置される萩市か秋田市に配備する計画をしているそうです。それには中国もロシアも当然反発していますし、攻撃対象になることを覚悟しなければなりません。ちなみに米軍は、安保条約6条、日米地位協定2条1項(a)によって自衛隊基地を米軍基地として使うことができます。

仮に秋田に配備されなかったとしても、日本のどこかの住民が犠牲になるわけですから、国民・市民の犠牲の下でも守るべき国益といえるのかをしっかりと考えねばなりません。自衛隊も軍隊も国家の存立を守るものであり、国民を守るものではないことは、軍事の常識なのですが、日本国憲法の下でもそれを許してしまってよいはずはありません。それが軍事的なるものの存在自体を否定した現行憲法の基本的な立場です。

さらに地方自治の観点からも、住民の生活に影響を及ぼしうる米軍や自衛隊の基地などの軍事施設を「国のために我慢してくれ」と特定の地域の住民の意思を尊重せずに押しつけることは、団体自治を侵すことになりますし、例えば住民投票も行わずに基地に利用する土地を収用する特別法などを制定して強制することは、住民自治に反します。憲法第95条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」と規定しますが、その趣旨からも一地方に不利益を押しつけることはできないはずです。

防衛政策が国策である以上、国が決定することであるとしても、その決定に際して、憲法92条や95条の趣旨を没却していいはずがありません。秋田選定の根拠資料に初歩的なミスがあったり、住民への説明会において役人が居眠りをしていて批判されたりしましたが、政府として誠意をもって説明し納得を得ようとする姿勢は全くみられません。米国の要請による確定事項であるから動かせないかのようです。

こうした理不尽を強行しようとしている政権与党ですが、安倍首相は11月20日で通算在任期間が2887日に達し日本の憲政史上最長となりました。桜を見る会の問題など、批判はあるものの、内閣支持率はあまり下がっていないという報道もあります。私たちの税金がどう使われているかにあまりにも無頓着過ぎるのでないでしょうか。天皇の代替わりについても政教分離や税金の使い方の観点からの異論がほとんどきかれませんでした。

権力の私物化はファシズムの兆候だそうです。というかもう既にそうなのかもしれません。もちろん納税者と主権者は一致しませんが、私は、納税者意識は主権者意識とつながると思っています。自分が稼いだ収入から税金を払っていることを意識するようになると、それがどこに使われているか気になるものです。自分のお金を政府に預けているだけだという感覚が重要です。

あるスイス人の友人が、「自分は税金を喜んで払うと発言したら、その場にいたイタリア人から信じられないと呆れられた」と言っていました。スイス人の彼は税金が道路や年金など必要なことに使われていることがよくわかるから必要な負担をするのは当然だという意識のようでした。

そして国のトップは1年で代わるから個人的にお金を着服することはないので安心だとも言っていました。何年も権力の座に居座り続けると腐敗することは歴史が教えるとおりなので、その教訓を活かした統治制度にしているようです。スイスでは、連邦大統領は毎年閣僚の中で持ち回され、担当する省の大臣を兼任し、再任は禁止されています。連邦議会議長も同様に任期1年で再任禁止です。連邦制であり直接民主制で国民投票によって多くの政策が国民によって決定されるという日本との違いも多々あるのですが、権力の濫用に対しての危機感とそれを統制するガバナンスの仕組みではずいぶんと進んでいる印象を受けます。その上、国民が豊かで幸せを実感できるのであれば、すこしうらやましくもなります。

私たちにも、選挙権、請願権、表現の自由などが保障されています。確かに表現の自由などは愛知トリエンナーレの問題を見ても課題を抱えていることは明らかですが、それでも政府を批判することで拘束されることはありません。選挙で自由に自分の意思で投票することも許されています。にもかかわらず、参議院選挙で投票率が50%を切ってしまいました。高い内閣支持率や低い投票率については様々な分析ができるのでしょうが、ひとつ言えることは、私たちは極めて恵まれているということです。

60年前の日本でも、国会前を学生や群衆が埋め尽くしたそうです。岸内閣による専制主義的政治に危機感を覚え抗議する人々の声が大きく上がったのです。今、香港では学生や市民が文字通り命をかけて自由と民主主義を求めて闘っています。もし、自分が70年以上前の日本に生まれていたらどうだっただろうか。今、香港に生まれていたらどうだっただろうか。クルド人として生まれていたらどんな人生だっただろうか。想像するだけでも苦しくなります。

今、ここにいられることに感謝の気持ちを忘れず、私たちが税金の使われ方に関心を持ち、どこかで起こっている問題を他人事として無視することをしない。そして、気づいた者から声を上げ続ける。 こうしたことが今ほど重要なときはないように思います。それが今この日本にいることができる私たちの責任でもあるように思うのです。 来年が皆さん一人ひとりにとって良い年であることを心から願っています。

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