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2017年5月 1日 (月)

第261回 人格的自律

皆さんはどんな自分になりたいと思って勉強していますか。勉強を始めたばかりの人は、法律家や公務員になってバリバリ働いている自分を目指したり、多くの人の助けになれるプロを目指していることと思います。今年、初めて本試験を受験する人は、試験会場であがらず、冷静に普段の力が発揮できる自分になりたいと思っているかもしれません。何度目かの受験を控えている人の中には、能力を発揮すべきときに最大の力を出し切れる人間になりたいと思っている人も多いと思います。

こうしてなりたい自分がある人は、それだけで幸せなのだと思います。お互いにそれぞれの考えるなりたい自分に向けての努力を尊敬し合い、他者のみならず、自分自身をも尊敬することができるのはすばらしいことです。

私は、初めて受けた司法試験の短答試験に落ちました。それまでも試験に失敗したり、うまくいかないこともそれなりにあったのですが、本気で精一杯やって結果が出せなかったことは、それまでなかったので本当に落ち込みました。極限まで自分を追い込んで結果を出せなかったのですから、自分の情けなさに自信を無くし、自分は法律に向いていないのだと必死に言い訳をして壊れそうな自分を守ろうとしていました。

ですが、考えてみたら完全な自分などいるわけもなく、未熟で発展途上の自分しか存在しません。周りの眼を気にして他人の評価に自分を合わせようとして苦しんでいたのですが、それは、実体のない影のようなものに怯えていただけだったのです。他人が評価したところの自分などは存在せず、今ここにいるのは、自分がその価値を決めて現実を生きるこの自分だけだったのです。自らの存在意義は自らが決めればいい、これを人格的自律というのだと理解しました。幸福追求権、つまり人格的自律権の意味がやっとわかった瞬間でした。

憲法13条で、尊重されるべき個人というのは、実は不完全な自分自身の現実の姿を自覚しながら、よりよい自分になろうと自己の完成に努めている人、そして他者の尊厳を尊重することができる個人を意味しています。きつい経験をして初めて理解した憲法13条ですが、その後の私の生き方の基本となりました。試験でもその後は、自分のめざす自己の完成と他者の幸福を意識していればいいのであって、結果を思い煩う必要など全くないことがわかって、開き直った気持ちで臨むことができました。

私は自分の命すなわち生がどんな価値を持っているのか、そんな難しいことを知る方法を持ち合わせてはいません。だからこそ、私自身が私の生に与える価値を大切にしようと思うのです。自分の価値は自分で決めると決めたのです。

一人一票の実現も戦争法や共謀罪への反対も、どんなに声を上げても、何も変わらないのではないか。強大な権力の前に一個人の力など些細なものであり、努力するだけ無駄ではないのかと気弱になることもあります。しかし、自分が考える社会の幸せ、それは、それぞれの幸せが共存できる社会ですが、それを実現するために、自分にできることを精一杯行うことで、発展途上の自分が少しでも成長できたらと思います。そのように努力し続けている自分を尊敬できるようになりたいと思って自分を奮い立たせます。

社会が変わるような大きな問題だけでなく、自分の身に降りかかる様々な出来事が、極めて偶然なものに見えても、それが自分にとってけっして無意味ではなく価値あるものなのだと、自分で意味づけを与えて生きるということです。自分に起こるすべての出来事は、毎日の小さなことであっても、すべて自分の自覚と意志に完全に任されていると認識できる自分でいたいと思うのです。 自己の完成と他者の幸福をなんとか自分の中で両立させたいと願ってきました。こうした自分の生き方にとって、平和であること、誰もが委縮せずに自由にものがいえる社会であることは不可欠なのです。北朝鮮の脅威をことさらに煽り立て、人々を不安によって支配しようとすることは、少なくとも私の幸福の追求にとっては障害になります。

一人ひとりの個人が自分の幸福を追求して懸命に生きることができるように、複数の選択肢に満たされた社会の環境整備をすることのみが国家の役割なのであり、国は特定の生き方や善い生を押し付けてはならないのです。力や恐怖によって人を支配しようとする企てに対しては、これからも声を上げ続けます。それが、憲法施行70年の今、憲法を学び続けている者の責任でもあると思っているからです。

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