2020年12月 2日 (水)

第305回 失敗のすすめ

第305回 失敗のすすめ

今年もあと1か月で終わろうとしています。コロナに振り回されたあっという間の一年でした。受験生の皆さんも試験日程の変更など大変な思いをして乗り切った一年だったと思います。大学に入ったばかりの皆さんは半年以上もキャンパスに行けず、予想していた大学生活とまったく違ってしまったという方も多いことでしょう。社会人の方もテレワークなどによって仕事の仕方が変化し、それに戸惑いながらも、この機会をチャンスとして活かして勉強を進めてきた方も多いと思います。

このように合格を目指して頑張ってきた皆さんに「失敗のすすめ」とは何事かと思われるかもしれません。ですが、今年のように予想外のことが起こることは今後も予想されます。試験と同じで想定外のことが起こることを想定しておくことは、こうした激動の時代を生き抜くためには必要なことと考えています。そんな時代を生きていく際には、思い通りにならないことが多々生じます。いわゆる失敗です。避けることができない失敗をいかに活かし、そこから何かを学びとれるスキルがあるか否かで、その先の人生の幸せ度が大きく異なってくると考えています。そこで今回はあえて失敗について考えてみたいと思います。

各種試験を受けてきた方の中には、試験前に緊張してしまって大変だったという人もいるだろうと思います。試験直前に行った塾のYouTubeライブでも、緊張や不安をどう乗り越えたらいいのかという質問を数多くいただきました。これら試験前の緊張や不安の原因の多くは、試験で失敗したらどうしようという恐怖にあるようです。頑張って準備はしてきたけれど、失敗して不合格になることが怖いとか、失敗したら応援してくれた家族に申し訳ないとか、勉強仲間が合格して自分だけ落ちたらかっこ悪いとか、様々な言い方がありますが、要するに失敗することが怖いので緊張する、不安になるというものです。こうした思いの根底には失敗が悪いものだという固定観念があるように思います。果たして失敗はそんなに悪いものなのでしょうか。

確かに、私たちは小さいときから、勉強でもスポーツでも成功すると褒められ、失敗すると叱られたり非難されたりしてきました。親からも学校でも成功することがいいことだと刷り込まれてきたように思います。私自身も「失敗は成功のもと」という言葉は知っているものの、やはり失敗は避けたいとずっと思ってきました。ですが、何度か大きな失敗を重ね、それを乗り越えてきた中で、文字通り失敗は成功のもとであり、失敗があるから成功があると確信できるようになりました。

そもそも失敗とは何なのでしょうか。一般的には「物事をやり損なうこと」とか「しくじること」と言われますが、私の考える失敗の定義は、「自分の期待していた結果が得られなかったこと」です。つまり、ある結果を期待して作為不作為の行動をしたけれども期待した成果が得られなかった状態ということです。このように自分が何かを期待していなければ失敗はないと思っています。そしてあくまでも、失敗は自分の期待と結果のギャップを感じている状態だと思っているので、そこには社会的な評価は入ってきません。つまりある事実に対する主観的な評価にすぎないということです。そのため、社会一般に失敗と評価されるようなことであっても、本人にとって幸せを感じられるようなものであれば、失敗にはあたらないと考えています。

社会的に失敗と評価される言動はいくらでもあります。政府のコロナ対策は失敗だったか、安倍元首相の桜を見る会問題への対応は失敗だったのではないか、裁判に訴えたのは失敗だったかもしれないなどと話題にします。ですが、当事者にとってそれが失敗だったかどうかは、自分が持っている物差しによって異なってきます。世の中の多くの人があれは失敗だと言おうが、その事実から何かを得ることができ、その先にある成功への通過点であるのであれば、その失敗には意味があったということになります。

かつて、日本は戦争でひどい負け方をしました。日本は先の日中戦争、太平洋戦争においてアジアの皆さんにとって加害者となり被害者にもなりました。あの戦争は失敗だったと言わざるを得ません。では、この戦争で勝っていたならば成功だったのでしょうか。日本や世界の人々は幸せになったのでしょうか。それは誰にもわかりません。ただ、戦争に負けた、その失敗から学ぶべきことが多々あることは確かです。

平和的生存権や9条を持つ日本国憲法を得たこともその一つですし、負ける戦争を遂行していった日本軍の行動や思考方法から組織の在り方を学ぶこともその一つです。1984年に発行された『失敗の本質』はベストセラーになりました。大日本帝国がなぜ戦争で負けたのか、ミッドウェー海戦、ガダルカナルなど旧日本軍の失敗した6つの作戦を検討しながら、その原因を探っています。私も出版当時、あまりにも大きな犠牲の下で得られた失敗からの教訓を日本の経営者がどう生かすのだろうかと興味深く読んでいたことを思い出します。目的がはっきりしていなかった、異端を排除してしまった、過去の成功に引きずられた、変革のための自己否定ができなかった、空気を読んでしまった。ここで指摘されている失敗の原因は会社、国家を問わずどんな組織においても意識して避けなければならないことばかりです。現在の政権担当者や会社組織がこうした失敗から学んでいるかどうかは別としても、私たちが生きていく上で重要な学びであることは確かです。

また、失敗学という分野があります。畑村洋太郎さんの『失敗学のすすめ』が有名ですが、この本からはヒヤリハットをはじめとして、自然災害や人災に対するリスク管理の基本が学べます。大きな失敗をする前に小さな失敗の段階で気づいて改善をしておくことはどんな社会でも重要なことだと思います。ここでも失敗から学ぶことが前提になっています。

このように失敗から学ぶことによって得られることは相当に多く、それはとても意味のあることだと分かります。そう考えてみると、失敗することを悪いことだと決めつけることは間違っているのではないかと気づきます。

失敗は、自分の期待と現実に起こったことのギャップにすぎず、その事実にどのような意味を与えて、そこから何を学び取るかはまさに自分次第だということです。失敗は悪いことだという刷り込みから自由になり、自分に現実に起こった失敗といわれる事象に素直に向き合ってみます。失敗を成功の対義語としてとらえて、成功と対立する概念としてみるのではなく、成功への道の過程に失敗があるのだと考えれば、失敗は悪いものではなく、むしろ必要なものだと理解できるようになります。失敗の延長線上に成功がある、そしてその先に自分の幸せがあると理解できれば、試験前や発表前の無用な緊張や不安もなくなります。そして、実務の世界に出た後に待ち構えている様々な困難に立ち向かっていく勇気を持てるようになるのではないでしょうか。

皆さんが挑戦しているそれぞれの試験勉強の過程で、そうした自分の気持ちのコントロールの仕方、つまり自己管理力も鍛えられているのだと思うと、勉強の過程そのものの意味が再確認できると思います。今年の試験で失敗してしまったという方もいることでしょう。まだ結果が出ていないけれども不合格を突き付けられたときが怖いという方もいるかもしれません。ですが、同じように失敗は成功するための過程に過ぎないと考えることができれば、何も怖くなくなります。一度、自分の中の失敗という概念を定義し直してみたらどうでしょうか。

今年一年の経験、そしてうまくいったこともいかなかったことも、必ず活かしていくことができるはずです。失敗はけっして怖いもの、悪いものではありません。皆さんの成功、そして幸せに向かう過程にある価値あるものなのです。多くの人の失敗に触れることがある法律家や行政官をめざす皆さんには理解しておいてほしいと思っています。