真の法律家・行政官を育成する 「伊藤塾」 株式会社 法学館

伊藤塾携帯サイトからでも
ご覧になれます!

2016年12月 2日 (金)

第256回 未来志向

恥ずかしい歴史を持つことよりも、恥ずかしい歴史を否定したり、忘れてしまうことの方がよほど恥ずかしいことです。他方で、忘却や歴史の歪曲に抗い、大義のために闘い続けることは、大変な勇気がいるし困難を伴うものです。だからこそ、それを乗り越えた国は、誇りと威信を取り戻すことができ、「国際社会で名誉ある地位を占める」ことができるのだと思います。未来志向の本当の意味を知ることができる作品が年明けに公開されます。「アイヒマンを追え!」というドイツ映画です。

ドイツでも1963年のフランクフルト・アウシュビッツ裁判が行われるまで、ホロコーストの実態は明らかにされていませんでした。映画の主人公であるフリッツ・バウアー検事長のこの裁判での活躍で、アウシュビッツでの蛮行が国民の前に明らかになり、ドイツ人一人ひとりが忌まわしい歴史に向き合うことになります。この裁判へとつながるアイヒマン逮捕の極秘作戦は長らく封印されていましたが、この映画で驚くべき実態が明らかになります。

1949年に再出発した西ドイツには、当時、政権の中枢にも、警察、検察の内部にもナチスの残党がいました。ホロコーストの事実をことさらに掘り起こし、ナチスの犯罪性を暴こうとするバウアー検事長は様々な妨害に遭います。経済復興を最優先し、ナチス時代を忘れたい人々にとっては目障りな存在だったことでしょう。

それでも、バウアー検事長は、新しいドイツが一人ひとりの尊厳を尊重する覚悟があることをこの裁判によって世界に示すべきだという強い信念の下、アイヒマン逮捕そしてフランクフルト裁判に尽力します。よりよい未来のためにこの裁判があるというのです。

日本でも未来志向という言葉が、政治家から発せられることがありますが、多くの場合には、過去にこだわることなく、水に流して前を向いて進もうという意味にしかとれません。被害者がつらい過去を忘れようとすることは十分に理解できることですが、加害者が加害の事実を忘れることを正当化するための言葉として使ってはなりません。

アメリカは、戦後の日本を属国として支配し続けるために、戦犯を公職に復帰させて利用しました。現在に至っても、日本では過去から学ぶことよりもアメリカの意向で重要な国家運営が決められています。新安保法制など第3次アーミテージレポートの内容をなぞっているだけですし、被爆国である日本が、国連で核兵器廃止条約交渉開始に反対するのもアメリカの顔色を見てのことです。

個人でも国でも主体的に生きるためには、過去としっかり向き合い、自らの手で、事実の意味を問い質し、正すところは正していかないと、本当の意味で前に進めないのだと感じます。日本の司法が憲法どおりの完全な独立を達成できていないのも、司法関係者が自らの手で軍国主義に加担した裁判官の戦争責任を問わなかったことと無関係ではないはずです。若手裁判官を中心にナチス関係者を司法から追放し、真の独立と民主化を勝ち取ったドイツとは大きく異なるところです。

司法自体が自律し民主化を達成できないのであれば、国の戦争責任の追及など今も昔もできるはずがありません。つい先日も、ドイツ連邦最高裁は、強制収容所でユダヤ人の所持金を管理していた95歳の被告人に禁錮4年の刑を言い渡しました。戦勝国による裁判で満足せず、ドイツ人自らの手で戦争犯罪を裁き続けているのです。

どこの国でも、国家や民族にとって都合の悪い歴史は、ときに書き換えられ、忘れられようとします。どの民族の歴史にも陽の部分と陰の部分があるものですが、どうしても暗い影の部分は忘れ去られがちです。失敗から何を学ぶかによって、その人の真価が問われます。国も同じだと思っています。私たちは、意識の風化、記憶の風化と闘わなければなりません。

自分が信じる未来のために、最後まで絶対に諦めない。どんな圧力があっても、大義のためにやり抜く力を持った人物が一人いるだけで国の未来は変わります。過去を忘れないと声をあげ続ける自立した市民がいることで、社会は再び過ちを犯さないで済むことができるのです。法を学んだ者には、そうして声をあげる責任があると思います。

映画の中の次の言葉に、勇気づけられました。「立派な憲法があるのはいいことだ。ただ、何を行うかが重要。」本当にそうだと思います。私も立派な憲法に負けないように行動したいと思います。憲法に命を吹き込むのは、その時代を生き抜く国民、市民なのですから。

伊藤塾ホームページ
Copyright © 伊藤塾/(株)法学館 1996 All Rights Reserved.