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2019年3月 1日 (金)

第283回 沖縄の民意

2月24日に行われた沖縄県民投票では辺野古の新基地建設のための埋め立てへの反対が多数となりました。投票率は52.48%でその7割を超える43万人が反対、賛成は11万票で反対が大きく上回りました。私は、ここに沖縄県民の民意が再度明確に現れたと考えるのですが、新聞各紙によってこの県民投票の評価は分かれました。

25日朝刊の見出しでは、「辺野古「反対」72%」(朝日新聞)、「辺野古反対7割超」(毎日・東京新聞)と大きく報じたものと、一面で小さく「辺野古埋め立て反対71%」(読売新聞)としただけのものに分かれました。産経新聞は、「海自観艦式韓国招待せず」を一面トップに位置づけその横に「辺野古反対7割超」と伝えています。記事の中では、あえて「『反対』が全有権者の過半数には達しないことが確実となった」と報じています。読売新聞は日本一の発行部数を誇るそうですが、同日の社説でも取り上げることもなく、記事の中では、投票率が52%だったことを指摘して、「県民の参加は広がりを欠き、影響は限定的」と評価して、自民党県連幹部の「県民の総意と呼べない」との発言を引用しています。そういえば読売新聞は、3.11原発事故の後に東京の代々木公園で数万人が集まった脱原発集会が開かれたときも、社の方針に反するからといって一面では一切報道しませんでした。

このように新聞各紙によって報道姿勢が異なります。ジャーナリズムは権力を監視し批判することがその使命であることを自覚しているか否かの違いなのかもしれませんが、ますます国民・市民のメディアリテラシーが問われる時代になっているのだと実感します。

今回の県民投票の結果を過小評価したい人は、有権者総数の37.65%に過ぎない県民しか反対していないのだからこれは民意とは言えないと言いたいようです。ですが、2017年衆議院総選挙では、全有権者に占める絶対得票率で考えると、自民党は小選挙区で25.0%、比例代表では17.5%しか獲得していません。このときの選挙結果は国民の民意を反映していないと主張するのでしょうか。

また、最低投票率の定めのない憲法改正国民投票において、仮に投票率40%、賛成51%という結果になり有権者のわずか2割ほどが賛成しただけであったとしてもきっと有効というに違いありません。私は憲法改正国民投票においては最低投票率か絶対得票率の定めが必要と考えていますが、今回の県民投票においては投票率も50%を超え、有権者の4分の1を超える反対の意思表示があったのですから、沖縄県民の民意は明らかだと思います。

沖縄県民の民意といいましたが、もちろん辺野古新基地建設に賛成の県民もいます。ですが、ここで重要なことは有権者団としての沖縄県民の総意は反対が賛成を上回っているということです。「37.6%の民意」と表現して今回の結果は県民の意思ではないと言いたいのかもしれませんが、ここで問題なのは、賛成11万に対して反対43万と圧倒的に反対が多かったという事実なのです。この事実を前にこれは沖縄県民の民意ではないとは到底いえないでしょう。

沖縄での米軍機の事故は普天間基地の周辺だけで起こっているわけではありません。1972年の本土復帰以降の普天間基地離陸米軍機の墜落事故17件の内14件は普天間基地のある宜野湾市以外で起きています。辺野古新基地建設後もオスプレイの訓練は沖縄全土で続きますし、沖縄に米軍基地があることによる危険性は何も変わらないのです。

ちなみに復帰以降の米軍機事故は基地別でいえば嘉手納基地が508件であり、普天間基地の17件に比べて事故件数は圧倒的に嘉手納基地の方が多く危険です。辺野古新基地建設で県民の危険や負担が減少すると思っているのは本土の人間くらいでしょう。

今回は自民党支持層の中でも賛成40%に対して反対48%と反対が上回り、「政府は県民投票の結果を尊重する必要ない」とする21.8%に対して「尊重すべきだ」は74.8%で、賛成反対を問わず県民投票の結果を尊重するべきと考える人が圧倒的なのは興味深いことです。支持政党を超えて沖縄の方々が問題の本質を理解している証です。

今回の結果を沖縄の民意ではないという人達は、おそらく沖縄県民の圧倒的多数が反対しても、それは日本国民の総意ではないと言い出すと予想されます。国防・外交問題は国の専権事項であるから沖縄県のような地方自治体は口を出さず黙って従えということでしょう。国の政策は、国民の多数が支持しているとされる政府与党によって決められますから、沖縄県民がいくら反対しても少数派であり勝ち目はありません。

沖縄県という特定の地域の住民が反対している政策であっても国策だからという名目で沖縄に押しつけ負担を強制することはできるのでしょうか。憲法は多数決を基本とする民主主義を採用し、国政は徹頭徹尾、国会における多数意思で決定することにしています(憲法56条2項)。しかし、他方で多数によっても侵してはならない個人の人権を保障しています。憲法を学ぶと、多数から少数を守るために憲法が存在することを理解することができます。

国防・外交問題が国の専権事項だからというだけでは、国が地元住民の声や人権を無視する正当な理由にはなりません。国防・外交問題が国の専権事項だというのは1つの解釈にすぎませんが、仮にそうだとしても民主主義という基本原理、地方自治の本旨は憲法事項なのですから、明らかにこちらの要請の方が優先することになります。繰り返しますが、国の専権事項だからといって、住民の意思を無視していいわけではありません。住民の意思を尊重して国の政策としての国防・外交を実現しろというのが、地方自治をあえて憲法で保障した日本国憲法の要請です。

憲法は92条で地方自治の本旨、つまり住民自治と団体自治を保障し、95条ではある地域の住民の権利のみを制限することになるような法律制定は地域住民の同意がないとできないとしています。その趣旨は、いくら多数派の代表である国会であっても、一地方に不利益な法律を押しつけてはいけないというものです。法律ですら、そのような押しつけは許されないのですから、単なる政策が一地方の住民意思を無視して押しつけられて良いわけがありません。

憲法は、安全保障政策であろうが、外交政策であろうが、金融政策であろうが、特定の地域の住民の意思を無視してその地域に国の政策を押しつけることを許してはいません。それが明治憲法と異なって、地方自治を憲法であえて保障した意義です。

そして日本国憲法が想定する民主主義は、こうして地方の住民の意思を尊重して、その同意を得ながら進められるべきものなのです。およそ一般的に民主主義は少数者の意見を尊重して十分な討論を経て、最後は多数決で決めるプロセスをいいます。しかし、特に一地方に不利益を及ぼすような政策は、仮に少数意見となるようなその地域の声を十分に聞いたとしても、その地域住民の意思を無視しては強制できないという制限が付いた多数決が要請されているのです。

辺野古新基地建設については、沖縄県民の声を十分に聞いて実質的な対話がなされたとは到底いえないまま強行されています。この時点でアウトですが、仮に十分に意見を聞いたとしても国レベルの多数決によって不利益を押しつけることはできないのが、92条と95条を持つ憲法の下での民主主義なのです。

ある小学校のクラスで、みんなでいじめの対象となる子を多数決で決めていじめることなど許されないことは子どもでもわかります。仮にこんな事をするのであれば、みんなが順番にいじめられ役にならなければおかしいでしょう。本土が受け入れないからという政治的理由でいつまでも理不尽な負担を沖縄に押しつけ続けるのは、まともな感性を持った人のやることではないと思っています。これから法律家・行政官をめざす皆さんには知性とともに感性を豊かにし、志を推し進める熱い心も鍛えていってほしいと願っています。

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