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2016年9月 2日 (金)

第253回 オリンピック

9月の臨時国会における憲法審査会では、憲法改正論議が進むようです。ですが、改憲勢力が各院で3分の2を占めたことにより、憲法改正の可能性が出てきたとの報道には違和感があります。国会で行うべき憲法改正の論議は、それぞれの議員や政党が自分たちの理想とする憲法をサロン談義のように言い合うことではありません。あくまでも、現行憲法のどの条文がどのような理由から不都合なのか、それをどう変えなければならないのかを具体的に論議しなければなりません。

そうした建設的な論議をするためには、参加するメンバーが最低限、近代立憲主義の意義や改正論議の作法について理解し、その点において価値を共有できなければなりません。立憲主義に関する人類の叡智に敬意を払い、知性と理性に基づいて論議することができないと、単なる価値観、世界観、歴史観のぶつかり合いになってしまい、収拾がつかなくなります。下手をすると十分な論議もなく、特定の価値観を多数決によって他者に押しつけることになってしまいます。個人的には、自民党の改憲案のように、個人の尊重を否定し、市民から言論の自由を奪うような改憲案だけは勘弁してほしいと思っています。いったん個人が否定され、言論の自由が封殺され、普通に戦争する国になってしまったら、もう元には戻りません。私たちの未来は灰色です。

こうした懸念とは全く無縁のような夏でした。戦後71年、戦争の記憶をいかに継承するかが大きな課題のはずですが、報道も街の話題も、オリンピックで持ち切りでした。安保法制に反対して盛り上がっていた昨年とは大違いです。そういえば、ヒトラーは「国民の理解力は小さいが、忘却力は大きい」と言っていましたし、オリンピックに聖火リレーを取り入れたのもヒトラーでした。

金メダルを期待された選手が、人のためではなく、自分の喜びのためにパフォーマンスを発揮することは本当に難しいようです。他人の期待はそこで勝つことですが、自分の目標はその先にあるはずです。それを見失ってしまうと、実力が発揮できません。一歩先をめざして、自分の成長をめざして、たかがオリンピックにすぎないと、その場を相対化することができるかどうかが重要な気がします。
試験でも全く同じです。それまでの努力は当然として、試験当日には、たかが試験と割り切ることができるかが、日ごろの成果を発揮できるかどうかの分かれ目になります。

スポーツも試験も結果が保証されないという点では全く同じです。いや、実は仕事も裁判も、そして人生そのものもすべて結果など保証されていない点では同じです。未来は自分が創り上げていくものだからです。過去にこだわって、自分の未来を否定したり、思い込みで決めつけたり、ましてや他人の言葉に振り回されて、自分の未来を自分で切り拓く意欲を失ってしまうほどもったいないことはありません。

合格率3%と言われて、たった3%ならやめておこうと思う人と、3%もあるのか、では挑戦してみようと思う人と、どちらが良い、悪いということはありません。ですが、裁判もどんなビジネスも勝てる確率で勝負しようと思ったら、その時点で、挑戦の意欲を失い、成功のチャンスを自ら逃すことになります。他の誰もが勝てないと思って諦めるようなことでも、やればできると自分を信じて努力を続けることが、勝利につながり、努力の過程における自分の成長につながるのです。

初めから自分の能力を決めつけて諦める人には、成長はありません。人生のテーマを結果におくのか、自分の成長におくのかで考え方は大きく違ってきます。何かの挑戦の結果は、挑戦の数だけ無数にあります。その一つひとつの結果に一喜一憂するのではなく、結果に向けての自分の人間としての成長に意味があると思える人は、結果以上に大きな成果を得ることができます。

世間や他人の評価からの思い込み、そして自分の過去から自由になることが必要です。生物学的にも私たちの細胞は毎日、新しいものに入れ替わっています。日々、過去の自分にとらわれず、新しい自分を自覚できるか、未来に向かって、自分はこうありたいと強く意欲し、本当に心地よい自分の未来の姿をしっかりと具体的に思い描けるか、毎日が新しいのです。自分の未来にとって今日が初日であることをしっかり自覚したい。オリンピック選手の活躍を見て改めて思いました。

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