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1996年5月

1996年5月 1日 (水)

第9回 絶対性と相対性

 日本という国は顔が見えないとよくいわれます。

 それは何のための経済力か、何のための技術力か、何のための安全保障かがはっきりしないからです。日米安保再定義は何のために必要なのでしょうか。国際化もよく使われる言葉ですが、そもそも何のために国際化するのでしょうか。そのメッセージがなければ国際社会における日本の存在意義が薄れてしまいます。

 こうしたことは私たち個人のレベルでも同じだと思います。私たちは何のために司法試験を受験しているのでしょうか。人に勝つためでしょうか。人よりもいい点を取るためでしょうか。人よりもお金持ちになるためでしょうか。このように人と比べるためではないはずです。

 自分の位置を他人と比較して相対的に決めるのではなく、誰もが存在意義を持っていて、目標に向かって前進を続けていること自体に価値があるのだということを再確認しましょう。特に択一本試験が近づいてくるとどうしても人と比べて一喜一憂してしまいがちです。自分だけが受かればいいと考えてしまいがちです。しかし、自分が絶対的な存在であると同時にまわりの受験生もかけがいのない価値をもった絶対的存在なのです。そしてお互いに共存してこの社会のためにベストを尽くそうとしているのです。

 そのときは自分だけが苦しいと思うかもしれません。しかし、まわりの受験生も一人一人大変なものを背負いながら頑張っているのです。この点では自分を相対化する必要があるのです。自分だけがという思いは捨てて、相手の立場も推しはかり、それを自分のこととして感じることのできる感性の豊かさが大切だと思います。

 この世に存在するすべてのものは相互に助け合っています。何一つ孤立して存在するものはなく、お互いに交流し合っているのです。この世に無駄な存在は何一つありません。この助け合いを通じてすべての存在物に進化が保証されていると考えます。一人一人が絶対的な存在であると同時に相互に依存し合っているという相対的な関係があるのです。この一見矛盾するような事実をしっかり認識することが必要です。このことは国際社会のレベルでも、これからの21世紀を生きる地球人という個人のレベルでも変わらないと思っています。

 択一本試験、頑張ってください。