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1996年8月

1996年8月 1日 (木)

第12回 ”試練”の意味

 勉強中や試験前などに私たちは不安になるものです。

 なぜでしょうか。

 それは失敗を恐れるからです。

 失敗は誰でもいやです。せっかく一生懸命に頑張ったのにその結果が出ないのです から、くやしくてなりません。

 でも、なぜ、くやしくいやなのでしょうか。

 それは結果がでないからです。

 ではなぜ結果がそんなに大切なのでしょうか。

 名声でしょうか、地位でしょうか、お金でしょうか、安心でしょうか。

 よく言われるようにお墓には何も持っていけません。 

 つまり、どんなによい結果をめざしても我々の現象面での究極の結果は死なのです。

 ちょっと暗くなってしまいましたね。

 でも大丈夫。人間は死に向かって生きているという現実を直視することで、結果で はなく生きていく過程が大切なんだということを理解する理性を持っています。

 前回、自然、地球、宇宙と我々は一体なんだという話をしました。

 宇宙と一体ということは時間、空間を超えて我々は一つということです。

 私たちは何らかの意味をもってこの世に生まれてきました。それが何のためなのか 本人には知らされていませんが、私は魂の進化のためだと考えています。 

 結果を出すためではなく、あらゆる障害を受け入れて進化するその試練のため、今 この地球にいると考えています。自分を鍛えるために生きているわけです。ですから、 自分を成長させるチャンスがたくさんある人ほど本当は幸せなのです。

 ちょっと逆説的ですが、勉強がうまくいかない、択一で失敗した、論文一科目目の 憲法で大失敗をした、そういう人ほど成長のチャンスがあるのですから幸せなのです。 

 さて、そう考えると試験に失敗することは恐怖ではなくなります。

 たとえ、失敗してもそれを受け入れて乗り越え自分を成長させることができれば、 それは成功なのです。では、ここでの成長とはなんでしょうか。

 私は愛だと考えています。どんなときでも、感謝の気持ちを忘れず、すべてのもの を無条件で慈しみ愛する気持ちを忘れないようにすること、それが成長だと思っています。

 私は昔、択一に落ちて情けなかったときや、論文試験を受ける前の怖くて仕方がな かったときにこのように考えて乗り切りました。無宗教の私はこう考えて自分自身を説得するしかありませんでした。

 こう考えると震えるほど怖かった試験が楽しみに思えてきました。

 自分を成長させるこんないい機会はないのですから、勉強できることに、試験を受けられることに感謝すべきだと気づきました。

 皆さんも苦しいときには、どんなことが起ころうとそれはすべて自分のためになる ということを、もう一度、自分の六十兆の細胞のすべてに言い聞かせてあげてください。

 勉強していて何が起ころうと大丈夫、試験でどんな問題が出ようと大丈夫、自分を成長させてもらったという感謝の気持ちと謙虚さを忘れなければ、必ず、愛のレベルで成長しているはずですから。

伊藤 真