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1996年9月 1日 (日)

第13回 そんな法律家に私はあこがれる。

 自分の頭で考えて、自分の価値観で意思決定して、その結果について自分で責任のとれる法律家に私はあこがれる。

 それは、あらゆる常識を疑ってかかるれる法律家。 西洋の価値観が本当にいいのか、本当に世界は平和な方がいいのか、本当に男女平等の方がいいのか、みな同じ様な教育でいいのか。 常に自分の常識や世界の常識を疑ってかかることが必要だと理解し実践できる法律家。

 それは、人々の多様性を承認して異質な意見の接点を見いだすことができる法律家。 
異なった視点や観点を積極的に受け入れ、問題を論理的に分析して妥協点を見いだすことができる。そして討論とは異質な意見の接点を見いだす技術だと理解していて、答えのない問題に対して説得的に論証していく術を身につけている法律家。

 それは、効率性への歯止めがかけられる法律家。 たとえば、人権は効率性をもってしても奪いえないものであるはず。 正義性といってもいい。これは企業家が効率性を求めるのに対して、正義性の観点から歯止めをかけるのが法律家の仕事であり、存在意義であるということ。 政治部門に対して司法部門の独自性といってもいい。
効率や力をもってしても奪えないものは何なのか、それを自分で考え自覚し、それを大事にし、それを侵すものに対しては断固、闘う法律家。

 それは、ロゴスとパトスが融合している法律家。 徹底した理論武装をしていて法律を武器として戦えるロゴスの法律家。 他方で、情熱をもち自分の使命を自覚してそれに向かって邁進するエネルギーを持っているパトスの法律家。

 それは、地球人としての法律家。 世界と人類の問題を自分のこととしてとらえることができる感受性を持っている。 国家という枠を取り払って、人間または命、さらにはあらゆる宇宙の存在物という観点でものごとの本質を大きく理解できる。 そして、あらゆる事実を認識し、そこから何が起こるかを推論し、その結果の意味を考え、それを自分のこととして感じることのできるイマジネーションと感性が豊かな法律家。 結局、人の心を癒せる法律家。

 そんな法律家に私はあこがれる。