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1996年12月

1996年12月 1日 (日)

第16回 学びのとき

 塾長はなぜ、いつもそんなに元気なのですかと聞かれることがあります。 それは今の仕事が私を鍛えてくれるからです。  皆さんは合格後の仕事のことを考えたことがありますか。 皆さんにとって将来の仕事はどのような意味を持っているのでしょう。

 良い仕事にめぐりあうことは何より大切なことです。

 自分自身を価値づけ、意味を持たせてくれるし、生きがいを与えてくれる。能力を向上させてくれる。人格、人間を創ってくれる。財と信用を与えてくれる。良い仲間 も与えてくれる。まわりの人々と社会に貢献できる。何より、自分に自信とプライドを与えてくれる。自分が生きていることの意味を知ることができる。そんな仕事にめぐりあってほしいと思います。

 私は今、未熟ながらも教育という仕事をしています。この仕事が好きです。 人間が成長したり、成功したりするのに必要なことは教育です。そして教育でもっとも大切なのは、「自分は思っているよりもすばらしい存在なのだ。」ということを自覚してもらい、自信をもってもらうようにすることだと思っています。私が、「司法 試験は誰でも受かる試験だ」というとそれは営業トークではないかと批判する人もいます。しかし、誰でもオリンピック選手になれるとかノーベル賞がとれると言っているのとはわけが違います。私は司法試験くらいのことなら通常の人間の能力でどうにでもなるものと信じています。そもそも人間が作った法律に過ぎないのですから。よく言っているように世の中にはもっと困難なことはいくらでもあるのですから、皆さんも司法試験くらいで音を上げるわけにはいかないでしょう。 

 私はその勉強の過程がたとえ平坦でなくても、そこで真剣に取り組んでいれば、そこから多くのものを自分で学んでしまう、それが人間だと思っています。真剣にやっていれば自分の生きるべき方向、活かすべき道を自分で発見していく。自分で自分を修正しながら向上していくことができる人は他人をも援助できるようになるのです。 そして、苦しみを味わった人は、他人の苦痛を取り除く手助けができる。 

 人間という存在は未熟で未完成なものですが、自分の選択と行動でその運命を変えることができるものなのです。与えられた宿命に甘んじたり、絶望することなく前進することが大切です。  今回、口述試験で失敗してしまった人もいます。授業の復習がたまってしまってやる気がなくなったという人や、仕事が忙しくて思うように勉強が進まないという人もいるでしょう。

 しかし、苦しいとき、悲しみ悩みの時ほど、多くを学べる。感謝する時です。

 このことを理解している皆さんとともに私自身もこの塾という場を通じてより成長したいと考えています。そのために自分の持っているものを惜しみなく提供します。 なぜなら、教えることの最大の利益は「より教えられることによる自己の向上」だからです。多くを与えるものはより多くを与えられるのです。これが私の元気の素です。