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1997年6月

1997年6月 1日 (日)

第22回 システムと個人

 私はこの塾から21世紀を動かす人材を生み出したいと考えて司法試験塾を創りました。

 いつも言っているように司法試験合格は目標であって、けっして人生の目的ではありません。この塾では常に自分の人生の目的を考えながら当面の目標(合格)を突破できるようにしていきます。

 私は塾生の皆さんに次のような法律家になってほしいと考えています。

1 自分の理念と原理原則、自分の価値観で意思決定し、その結果について堂々と責任をとれる法律家。

2 答えがあるのかないのかがわからないものについても解決していけるような法律家。

3 地球人としてこの地球に生まれたことの意味を考え、何らかの方法で世界(特に第三世界やアジアの国々)に貢献できる法律家。

4 合格者や弁護士である前に一人の人間であることに誇りを持てる法律家。

 さて、このような法律家になるにはどうしたらいいのでしょうか。

私はふたつあると考えています。ひとつは一人の人間として何事にも感謝し、自分が活かされていることを自覚できる謙虚さを持つことです。 そして、もう一つは忍耐力を鍛えることです。このふたつさえ持っていれば、何事も必ずうまくいきますし、自分の理想とする法律家になれると信じています。

 明治維新の志士たちは皆、青臭い奴だといわれながらあれだけのことを成し遂げました。変革の時にあって時代の先を読む者は青臭くなくてはいけないと思っています。皆さんの活躍の舞台は21世紀です。

 さあ、一緒に頑張っていきましょう。

 先日、秋山賢三先生に講演していただきました。 徳島ラジオ商殺し事件の再審開始決定の主任裁判官として再審の道を開かれた方のお話で、現場での意思決定の重みをまざまざと見せつけられる感じでした。

 被告人として刑に服した富士茂子さんは32年目にしてやっと無罪。その間に自らの無罪判決を知 ることなく亡くなりました。どんなに無念だったでしょう。皆さんはその思いを想像できますか。

 冤罪事件はなぜ起きるのでしょうか。いろいろな理由があるとは思いますが、システムと個人の両方に原因があると思います。 たとえば日本の刑事司法システムは、被疑者段階では弁護士がほとんどつかなかったり、逆に被害者をしっかりケアする仕組みがなかったりとまだまだ問題は山積みです。犯人と決めつけたら組織ぐるみで徹底的に追究し自白させる姿勢は、何がなんでも一度決めたら方向転換しないという日本の官僚システムにありがちな欠点がそのまま露呈しているような気がします。検察官や警察官は裁くのではなく、証拠を呈示するのが仕事のはずです。それが、自分が真実を発見し裁くんだと勘違いしていることも、 冤罪を生む原因となっているような気がしてなりません。これは個人のレベルでの問題でしょう。冤罪を防ぐために、システムの改善が先か個人の能力を高めることが先かは議論の余地のあるところです。

 個人に依存していてはいけない。だれでも間違う危険性があることを前提にして、システムでそれをカバーしなくてはという考えもできましょう。しかし、システムを変えるには大きなエネルギーと時間が必要です。 それをめざしつつも、個人が集合してシステムは機能するのですから、まずは個人の力量を高めることも必要なのではないでしょうか。どんなにシステムが整備されても、 結局は、そこで仕事をする一人一人の法律家がどんな価値観でどんな意思決定をするかにかかっているのです。どんな組織も人が動かすものです。最後は一人一人の人間力で決まります。前にも塾便りに書いたのですが、人間はもともと不条理な生き物です。完璧に行動できる人などいません。ゲームの中のキャラクターなら別ですが、人間というのは矛盾に満ちているからです。そうしたことを包み込んで相手の立場を理解する大きさが必要です。自分の常識の範囲が狭いとそこで思考停止になってしまうのです。これではいい仕事はできません。法律家にとって、相手の立場を理解しイマジネーションを働かせる力が何よりも大切なのです。その上で、99人の凶悪犯人を逃しても一人を守るために国家は機能すべきだということを理解しているか、それが国家の根本法である 憲法の価値観であることを理解し活かせるかでまったく反対の結論になってしまうのです。

 あらためて今、学んでいる個人の尊重という価値の尊さを思わざるを得ません。 現場でこれを実践できるか、そのためには人間としての力量を磨かないといけないのです。どんな組織にいてもどんな状況でもたった一人になっても、憲法の価値を貫ける人間としての力量を磨こうと思いました。