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1997年7月 1日 (火)

第23回 才能と責任

The Great Lawyers IV - 王安石 1021~1086
中国・北宋の代に、新法改革を推進した政治家。撫州臨川県(現在の江西省臨川市) が郷里。字は介甫(かいほ)。父・王益が江寧府(江蘇省南京市)で病死したのち、 そこで科挙の受験勉強に没頭。1042年、22歳にして科挙に第4位で合格。暫くは地方官として各地に赴任したが、67年に即位した神宗により中央に呼ばれ、翌年、副首相 (参知政事)となった。
 兵員と官吏の増大によって逼迫した国家財政を再建すべく、 均輸法・青苗法などの新法を次々に実施していった。70年には宰相となる。新法による彼の改革は、地主・富豪や特権官僚などの利益を押さえるものであったので、保守的な旧法党に強く反対された。
 人民のただ一人の命でさえ天下においては大切なものである。君子たるものは人民と少しばかりの利益を奪い合うなど到底できはしない( 「塩を収む」)という詩から、人民に対する彼の思いが読みとれる。
 一民の生 天下に重し 君子 与に秋毫を争うに忍びんや

21世紀まで3年半です。世紀末に向かっての日々の中で政治、経済、文化、犯罪あらゆるものがますます混迷を深めているようです。日本はいったいどこへいくのでしょうか。実際に皆さんが活躍する舞台はこの21世紀です。合格者も増加し法律家として本物でないと生き残れない時代になります。これからの法律家は考え方も技術も今までとは一変したものにならざるを得ないでしょう。皆さんはこれから合格して、既存の価値観や概念に捕らわれずに新しい法律家像をつくっていかなければなりません。

 よく言うのですが、人にはそれぞれ与えられた使命があります。そしてそのために特別の能力が与えられていることがあります。スポーツ選手はその才能で多くの人を感動させ、料理人はその腕と感性で人々を幸せな気持ちにさせます。皆さんは、たまたま法律を学ぶチャンスに恵まれました。少なくとも勉強しようと思えるくらいの知性を備えています。ならば、その才能を合格したら人のために使うべきです。これは才能ある者の責任です。 どんな才能が与えられるかは全くの偶然であり、単なる役割分担にすぎません。人は才能があるから偉いのではなく、それを多くの人のために使う努力を惜しまないから 尊敬されるのです。才能を私のために使うのではなく、社会に還元すべきではないか。きっと満足感、充実感として返ってくると思います。誇りのために生きるという生き方もあるのです。自己満足でもいい。自分が心地よいと思う利他的な行動をとってみましょう。人のために生きることができる幸せを感じることができます。そして皆さんにはもっと大きく、この日本のためにときに私を捨てて活躍してほしいのです。私はこの塾からこうした21世紀を担う人材が生まれると確信しています。

 今この国には真の意味のエリートがいない。私の夢はこの「塾」で世界に通用するエリートを育てることです。皆さんには本物のエリートになっていただきたいのす。いざというときに自分を捨てて人のために尽くせる、そのための知力と体力と気力を備えた人材をエリートと定義しておきます。

 これからは法律家が日本をリードすると思っています。それは筋を通すことができ、対立利益を調整するための規範を持っているからです。クリントン大統領に続きブレア首相も弁護士であるのは単なる偶然ではありません。今までは経済が日本をリードしてきました。これからは法的思考力をもった人材がきちんと日本の方向性を示していかなければならないと思います。皆さんには合格して単に法律実務家として裁判にかかわるだけではなく、国家レベルの法的紛争も含めて日本を導いていってほしいのです。私たちはそんな人材の手助けをしたいと思っています。 最先端の技術を駆使し、自分の専門分野を持ちながら、説得力と思いやりを持ち、相手の立場を理解できる大きさを兼ね備えている。特権意識をもつことなく、人々の中 に入っていってともに泣き、喜べるエリートです。

 法律という専門知識と経験的知性を使って人のために心を尽くす、いざというときに逃げずに正面から問題に立ち向かいその結果についてきちんと自分で責任をとる。そうした自分の責任を心得ている真のエリートになってほしいと思っています。