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1997年10月

1997年10月 1日 (水)

第26回 学びの秋

 民法を制する者は司法試験を制する、とよくいわれます。それだけ民法は法律の基礎でもあるし、市民生活に密着した法律だいうことです。そして、民法を勉強していると物権、債権という概念がその財産法のすべての基礎にあることがわかります。そしてこの物権と債権だけで市民生活の法である民法のすべてが完結しているような体系を思い描いて問題を解いています。試験との関係ではそれで十分なのですが、どうしてもその世界がすべてのように錯覚してしまうことがあります。

 今、物権法の本を書いているのですが、所有権絶対のところでふと思ったことがあります。

 所有権では説明できない概念が世の中にはあまりに多すぎるのです。

 たとえば、人権を享有するといいますがそれはもちろん所有権ではありません。健康も所有権では説明できませんし、幸せもそうでしょう。これらは対価を得て他人に譲渡することができません。これらは、法律上の財産権という観念の範疇を超えているわけです。

 そうすると、今私たちに関わる重要なもののほとんどは法律では説明できない観念です。法律家は世の中の事象を法律ですべて割り切ろうとしますが、所詮無理があることは明らかです。私のように法律の世界に毎日浸っているとこうしたごく当たり前のことをときに忘れてしまいがちです。物権とか債権とか、財産とか権利とか義務とかではない、もっと根源的な価値で人は生きているということを自覚しなければいけないと思いました。

 そのためには自分を相対化すること、自分の世界から引き離して周りをみることが必要だと思いました。法律という判断基準を持つことは何もないよりは有効です。しかし、それは本当にひとつの物差しにすぎません。受験生という立場だとどうしても試験という物差しやその結果だけを絶対視しがちです。できればより多様な判断基準を持っていた方が楽に豊かに生きることができます。こうした判断基準の多様性がその人の人間としての大きさにつながるのかもしれません。

 よく趣味を持っている人は豊かだといいます。スポーツでもボランティアでも同じでしょう。それは自分を相対化できる環境に身をおくことによって、多様な物差しを持つことができるからではないかと思っています。明日の法律家講座で森川弁護士の話を聞いて彼のバンドでの活躍がそのまま、自然体での法律家の仕事に生きているなと思いました。私なんか司法試験指導の世界では偉そうなことをいっていますが、それ以外ではほんとにペーペーです。先日、高校生に講演をする機会がありましたが、彼らからもずいぶんいろいろなことを教えてもらいました。

 草木や自然環境も含めて我々のまわりに先生は限りなく存在します。学ぼうという謙虚な心があれば何事も自分の人生を豊かにしてくれるなと思いました。まさに「万物我以外はすべてこれ師なり」です。