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1997年11月

1997年11月 1日 (土)

第27回 まわりの目

 皆さんは自分の勉強がうまくいかない、たとえば答練の成績が一向にのびないというときに、いやな気持ちになることはありませんか。なぜそんな気持ちになるのでしょうか。もっと極端に不合格になってしまったときに、皆さんの気持ちにとってやっかいなことになっている一番の原因は何でしょうか。
 家族でしょうか。友達でしょうか。恋人でしょうか。
 誰にわかってもらいたいですか。誰に誤解されたくないですか。誰に弁解したいですか。
 私も新しいことをやっていこうとすると様々な障害に会います。たとえば今でもこうした受験指導校を色眼鏡で見る方が大勢います。法律の入門書を書けば、所詮予備校の先生が何を言っているのかという目で見る方もいます。残念ながら法律を生業にしながら謙虚に事実を見る目を失ってしまっている人もいるのです。

 私たちは、何かを成し遂げようとするときにこうしたまわりの目を気にしていたのでは何もできません。自分がやるべきだと信じたことを信念をもって誠実に実行していればそれでいい。まわりがどう思うかなどまったく関係ない。それを気にしなければ楽になれると気づくまでには私もずいぶんかかりました。自分で価値基準を持てればいい、自分が納得できればそれでいいのです。私たちは人から評価されるために生きているのではない。存在自体においてすでに価値があるのです。

 この個人の尊重の理念の当たり前のことに気づいた瞬間、自分を縛っていたあらゆるものから解放され自由な気持ちになれました。とても楽になれたのです。そして自分に誇りが持てるように自分で納得できるような生き方をしようと思いました。人になんと言われようと自分が納得できる生き方をすればそれでいいのです。

 たとえ試験に落ちたとしてもそのいいわけを人にする必要はないのです。

 自分にいいわけをしなくてもすむ納得できる生活していればいいだけなのです。

 皆さんの行動基準はなんですか。司法試験の合格ですか。もちろん合格という目標は重要です。

 しかし、これは形式的な目標でしかありません。行動の基準にはなりません。合格だけを目標に生きていると、合格できないから焦る、不安になる。いつかは必ず自分にも合格はやってくるし、自分は幸せになれると思いこもうとする。しかし、合格はやってくるものではありません。待っていても幸せにはなれません。

 いつかは何かすばらしいことが起こるだろうと期待していますが、たいていそんなことは自然には起きません。つまり、将来ばかりを気にしていて、今を生きていなければ何も起こらないのです。

 今、自分の行動基準に従って精一杯、自分が納得できる生き方をしている。そのことの積み重ねで明日があり、来年があります。

 将来、人のために働く準備として今頑張っていることはけっして恥ずかしいことでもなければ、隠すようなことではありません。堂々とすべきことです。まわりの目など気にすることなく自分が納得できるような生き方をしていってください。

 まさに明日の自分は今日の自分が創るのです。

 皆さんは今日という最初の一日を大切に過ごしていますか。