« 第28回 使い方の難しさ | メイン | 第31回 合格への確信 »

1998年1月 1日 (木)

第29・30回 謹賀新年

 年の始めには大きな事を考えるものです。私はこの国をいかに憲法の理念が行き渡った国にするかなどと考えてしまいます。

 昨年、大学、予備校、PTAなどで講演をする機会を得ました。私の夢のひとつはこうした場で憲法の話をしながら全国をまわることです。

 日本ではまだ、残念ながら憲法の理念が十分に浸透しているとはいえません。

 憲法の基本的な考え方は「強い者から謂れのない不条理な扱いを受けないように個人を守る」ということです。ひとりひとりの個人は弱いものです。それを憲法が守ってやろうという発想です。

 力の強い者はどうしてもその力で自分の考えを押し通そうとします。

 そのときの力は、武力、暴力、経済力、マスコミなどの影響力、予算をつける権限、腕力、教師としての権力、子どもに対する親の立場、健康な体、頭のよさ、などさまざまです。これらすべてが、弱い者を理不尽に押さえつける力になりうるのですが、社会、集団という力もまたそのひとつです。

 少し前に「オタク」「ネクラ」という言葉がはやりました。皆さんも何気なく使っていたのではないかと思います。人と違うことをからかう、マスコミが取り上げる、みんなの噂の対象になる、これらは皆、人と違うことが珍しいから起こります。

 同じ人なんかいないのが当たり前になれば、人と違っていても誰も面白がることはないでしょうから、そうした人がマスコミのターゲットになってたたかれることもなくなるでしょう。

 みな同じ方が自分を人と比べることなく生きられるので安心であり、ストレスもたまらない。だからみな同じでいようとする力が無意識のうちに働く。その中で人と違った行動や考えをもち共同体の安定をくずすとたたかれる。

 それは自分に自信がないからにほかなりません。自分にはこれだけの個性があり特徴があるのだから、人がどうであろうと気にしないといえる自分がないと、どうしても人と比べてしか安心できなくなっているのです。

 お互いに個性を尊重し、共同体の枠からはみ出した者をも認める大きさがないと個人の尊重など実現できません。違っていて当たり前の社会に早くもっていくことが必要です。

 同期だからといって出世のスピードが同じではやっていけない、同じ銀行だからどこも同じように保護するとはもういえない、同じ弁護士だからみなが尊重されるとはいえない時代になってきているのです。

 子どもの頃からみな同じだから平等でなければいけないという教育をしてしまうと、同じでないからという理由の差別を助長することにつながりかねません。そうではなく、人はみな違っていて当たり前、それを特別のものと思わないようにする教育が必要です。人と違うことはすばらしいんだとそれを受け入れることができる心の余裕をもつ術をもっと伝えるべきだと思っています。

 私はそのことを多くの人に伝えるために今年も全国行脚したいと思っています。

 皆さんの合格した後の夢はなんですか。