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1998年4月

1998年4月 1日 (水)

第32回 ひとつひとつ

 先月から来月にかけて全国に在宅スクーリング、公開講座に出かけています。毎回、数十の相談を受けます。私にとっては多くのうちのひとつであっても、受験生にとってみればその場ではたったひとつの悩みです。東京校にいるときも同じです。ひとつひとつを大切にしなければといつも思います。毎日が真剣勝負です。

 択一の勉強をしていると、またこんな判例や条文を覚えるのかとうんざりしたりすることはありませんか。判例や条文を単なる記号としてしか認識していないとつらいかもしれません。ちょうど意味もわからずに歴史の年号を覚えるようなものです。しかし、歴史もその年の時代背景や人々の生活ぶりが想像できるとイメージがわき、面白いものです。事件の年号も単なる丸暗記の対象ではなくなります。

 判例や条文も同じです。

 皆さんにとっては毎日勉強する判例、条文は多くの論点のひとつ、多くの知識のひとつかもしれません。

 しかし、そのひとつの判例や条文に関わった当事者にしてみれば、ひとつひとつの判例はすべて、その方々の人生がかかっていたものなのです。

 判例の背後には現実の当事者がいて生の事件があります。判例はそうした当事者の苦悩の結果として創りあげられたものであることを忘れてはなりません。

 いま、私たちはこうした多くの人々の人間としての営みの積み重ねを学んでいます。一見つまらなく見える判例もその背後には具体的なある人の生き様があるはずです。それを思うとおろそかにできません。いや、判例集に載るような華々しい事件とは無縁の地味なひとつひとつの事件こそ多くの人々の苦悩や血と汗と涙の結晶なのです。

 そう思うと今勉強していることは決して無味乾燥な暗記などではなくなります。みな血の通った人間の営みの結果であり、その人の歴史なのです。

 たったひとつの条文でその人の歴史が変わってしまうこともあります。「明日の法律家講座」で講演してくださった布川事件の当事者のお二人も、国選弁護に関する憲法三七条三項の「被告人」が「被疑者」であったら獄中の二九年間はなかったはずです。法律というものはたった一文字の違いが、人の人生を変えてしまうほど冷厳なものなのです。ひとつひとつの条文はその事件の当事者にとってみれば救いにもなれば、厳しい審判の根拠にもなるのです。

 皆さんが実務家になったときに扱う事件もほとんどはルーティンワークのようなものかもしれません。地味で同じ様なことの繰り返しで派手さはなくて飽き飽きすることもあるかもしれません。ですが、当事者にとっては一生に一度の大事件であることがほとんどです。

 ひとつひとつの事件を大切に、そして一人ひとりの思いを大切にすること、そのための訓練がいま、択一の勉強の中で行われているのかもしれません。