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1998年7月

1998年7月 1日 (水)

第35回 情報

 最近、情報公開がよく話題になります。

 官僚国家と呼ばれ、政治家よりも官僚が優位に立ってきたのはなぜか。それは官僚の方が現場の情報をもっているからと言われています。結局は情報を多く握っている者がその国を支配することになります。

 としたら国民主権のもとでは、国民が一番情報をもっていないといけないはずです。この根本が理解できていないと、そして実践できていないと民主国家とはいえません。

 情報をコントロールされても何もいわない、自分の情報にも無頓着で他人の情報をのぞき見るのが好きという国民は為政者にとってみればもっとも御しやすい国民でしょう。たぶん、民主主義の先進国からみれば、なぜ日本の国民は情報にここまで無頓着でいられるのか、税金の使い方についてなにも文句をいわないでいられるのか、金融機関の情報がまったく公にされなくても安心して預金し続けるのか不思議でならないと思います。よくいえば信頼、悪くいえばなれ合いです。しかし、信頼も本来は情報の交流を前提にしているはずです。盲目的な信頼は理性のなせるわざではありません。

 個人を尊重するためにはその個人情報の管理は本人の責任と権限であり、また、国家の情報は国民の情報であるという基本をこれまでしっかりと教育で次の世代に伝えてきませんでした。個人の尊重とは無縁で、個性とは自分勝手を許すことと誤解している親や教師がいるような教育現場から民主主義が育つわけがありません。おとなが情報の重要性を認識していないのですから、それを次の世代の子供たちに教育によって伝えられないのはいわば当然です。そして子供たちはプライバシーということを通じて情報というものの意義を学習していないのですから、おとなになってその重要性がわかるわけがありません。悪循環です。国家は一般にこうして没落していきます。何十年か後に、かつて日本という国家があったが、情報の重要性を国民も政府も認識しないことによって世界史から消えていったという記述がどこかの国の歴史の教科書に載るかもしれません。まあ、国が消えることなどはどうでもいいかもしれません。しかし、理不尽を強いられて国家の背後で苦しみながら抹殺される弱い者はこんなことに巻き込まれるのはまっぴらごめんです。情報を与えられず不利益を強いられるのは常に弱者です。末端で本当に困っている人は声を上げることすらできません。こうした場面では、ある程度の余裕と知識がある人が彼らの変わりに声を上げなければなりません。それはその立場にある者の責務です。

 こう考えてみると私たちが合格した後に解決しなければならない問題は山積みです。

 まずは私たち自身が情報に踊らされないことが必要です。氾濫する試験情報の中で惑わされず自分の力で必要なものを取捨選択していかねばなりません。来年に向けて頑張っている皆さんは、落ちついて今自分が本当にやるべきことをこなしていけばいいだけです。論文を目前に控えている皆さんは試験情報に一喜一憂する必要はありません。どんな問題が出ようと受かる人は受かるのです。情報に踊らされることなく自分を信じて安心して試験に臨んでください。