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1998年12月

1998年12月 1日 (火)

第40回 福祉主義

 先日ある講演会での質問の中に、日本は自由競争の社会なのだから、 失業者、ホームレスの保護などいらないのでないかというものがありました。外国人労働者の保護も不要だという意見もあります。こうした人々の保護は本当に必要なのでしょうか。

 いうまでもなく、社会ではお互いが助け合いながら存在しています。人の能力はそれぞれであり、一人ですべてできるわけではありません。技術の能力がある人がいれば政治的な折衝が得意な人もいる。文学の才能のある人やスポーツ、音楽の才能がある人がいるからこそ社会はおもしろい。みんな自分の足りない部分を他の人から助けてもらって生きています。人の助けがなければどんなにお金があっても生きていけません。

 しかも役割分担があるから、それぞれの個性を発揮して持ち味を生かして生きることにより社会はより活性化し、進化します。どんな人も必ず役割があります。価値のない存在など絶対にない、これが憲法13条の理念です。いつも言っているように人と違うことを喜び、自分と違う考えの人を尊敬することができれば、また、違った生き方が見えてきます。

 しかし、こうした問題の際によく聞かれるのは自己責任という言葉です。助け合いが必要なことはわかるが、そもそも本人の努力が足りないのではないかというものです。確かにそう言える場合もあるかもしれません。しかし、受験生の方ならよくわかっているように努力できるということもまた、一つの才能です。自分にそれがあるからといって、その能力に欠ける人を一方的に非難することはできないのではないでしょうか。自分がこうしてなんとか生活できるだけの能力を与えてもらったのは自分の力ではなく、まったくの偶然だと思うからです。それをあたかも自分だけの力で今があるかのごとく考えるのは思い上がりでしょう。そして、いつ自分の環境が変化し、人の助けがいるようになるかわからないのが今の社会だと認識すべきです。つまり、もし自分がこの人の立場になったらどうだろう、いつこうした弱い立場になるかわからないと考えるだけの謙虚さをもつべきなのです。

 こうした交替可能性への共感がいわゆる福祉の基本だと思います。どんなことでもいつ自分の身に降り懸かるかわからない。だから、お互い様であるという感覚が、憲法の人権の原点ではないでしょうか。そこには合理性や経済的な効率性を越えた何かがあるように思えます。憲法は、個人の尊重を謳っていますが、その背後には相反する二つの要請があります。一方で自立した個人の自己決定権の保障とともに自己責任を要求し、他方、そうした自己決定、自己責任を果たし得ない者との関係ではそれが可能になるようにお互いに助け合うという考えです。

 私たちはもっと想像力を持たなければならない。そして、自分だけは違うという思い上がりを捨てなければいけないのだと思います。社会はいつまでも自分に都合よく回ってはくれません。今この瞬間でも誰一人として自分だけの力では生きてなどいけないことを自覚すべきだと思っています。