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1999年1月

1999年1月 1日 (金)

第41・42回 謹賀新年

 不思議なものです。特別、昨日と何かが変わったわけでもないのに、この日ばかりは、日頃の些細なことから解放され、自分を大きく見つめ直すことができるような気がします。

 今年もよい年でありますようにと誰もが願います。

 でも、よい年ってなんでしょうか。

 去年よりもどう生きればよい年になるのでしょうか。

 そんな面倒なことをいわずにお雑煮でも食べていればいいんだよと言われそうです。

 でも、その前に今年はこうしたいとちょっと考えておかないとなんだかお餅が喉を通らない気がするんです。残念な性格です。

 よい年とは去年に比べて失敗しないということでしょうか。

 よく失敗は謙虚に事実として受け入れなければならないと言うことがあります。

 これから法律家になって、多くの失敗をした人を相手にするのだから、失敗の経験がものをいうという意味で、何事も経験だから受け入れようと言うこともあります。失敗を畏れるなということです。

 でもよく考えてみると、失敗って何でしょう。

 人生に失敗などあるのでしょうか。自分がある人の人生を失敗と評価することなど許されるのでしょうか。

 失敗という言葉も多くの人の価値観を前提にそれからはずれたものをそう定義しているだけのような気がします。

 そもそも幸せの定義は一人一人でしていくものでしょう。

 みな幸せの定義は違うはずです。

 実は失敗した人、成功した人という区別自体が思い上がりだったのではないでしょうか。

 それと同じように去年は失敗した、でも今年は成功するぞという区別も不要な気がします。

 今年の自分はこうありたいと意識することはとても大切です。

 だからといって昨年の自分を否定することはない。皆さんにとっても私にとっても貴重な1年であったことに間違いないのですから。

 受け入れて自分のものにした瞬間どんな一年であっても失敗ではなくなります。

 おおらかに堂々と生きていくこと。

 まわりの人の幸せの定義を認めつつ、自分自身のそれを持てるようにすること。

 こんなはずはないと本当の自分を探し求めるのではなく、今の自分をありのままに本当の自分として受け入れること。

 その上でさらに理想を追い求めること。

 つまり、現実を受け入れたうえで、なおかつ、しなやかに青臭く夢を抱き続けること。

 これらはそう簡単ではありません。

 ですが、その過程で自分なりの幸せを感じることができるようになれば気持ちも楽になれます。

 人生は行為有価値です。

 私も失敗したくないという気持ちに囚われて、自分のやりたいこと、新しいことを先送りにすることがないようにしたいと思います。