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1999年10月 1日 (金)

第50回 旅

 久しぶりに旅行をしました。 

 いつもは旅行ではなく移動をするだけです。もちろん大阪校や京都校に何度もいっています。でもいつも新幹線の駅と校舎への往復だけです。朝でかけて夜帰る。少しでも早く大阪や京都に移動したいと思うだけでした。

 あるとき大阪での仕事が夜遅くになったので、翌朝帰るか夜行で帰るかの選択に迫られました。そこでの判断基準はできるだけ早く東京に戻って仕事を再開できるのはどちらかということです。そこで夜行に決めました。 

12時35分大阪発の寝台特急です。朝の7時過ぎに東京につきます。
なんといつもはのぞみで2時間半のところを6時間半もかけていくのです。
個室のテーブルで仕事もできます。快適でした。
これで仕事もできるしいつもより眠れるな、大成功だと思いました。
さて、乗ってみると深夜の大阪、京都のいくつかの駅を通過します。
いつもは新幹線ですから、普段は見たこともない駅ばかりです。
室内の電気を消すと外がはっきりと見えます。深夜だから景色も見えず仕事に没頭できるだろうと思っていたのに大間違いでした。ちらちらみえる家庭の明かりや駅で終電を待つサラリーマンの姿、二人連れの男女、点検を急いでいる駅員さん、などなど多くの人の生活がそこにまだはっきりと見えるのです。

 そこで急にドイツにいたときのことがフラッシュバックしてきました。
中学の頃ドイツでは旅行するのが好きでした。そしてゆっくり走る列車の窓から外を見ながら、踏み切りで待っている農夫の生活を思ったり、麦畑で働いている子どもの姿からその子の将来を想像したり、いろいろと思いめぐらすのが好きでした。そして、ひとりひとりにはそれぞれの生き方や人生があるんだなあと思ったりしたものです。これが私の個人の尊厳の原点です。 

 それは紛れもなく旅でした。都市の間を移動するのではなくて、その過程を楽しむ旅でした。いつしか旅をしなくなりました。新幹線や飛行機で目的地に移動することが目的でしかなくなりました。でも、こうして過程を楽しむことができるんだと夜行列車に乗って再び思いました。そうだ、旅に出よう。この夏ドイツ、ポーランドの旅行のまえにひとりで数日スイスにいきました。ドイツ人の友達と一緒です。二人でひたすら列車に乗りました。ただ乗るだけです。そしてその過程を楽しみました。景色や人々との触れ合い、予定がくるったり、思いもかけないことが起こったりします。でもそれらをすべて楽しめるのです。目的地に行くことが目的ではないからです。鈍行列車の2等席に乗って周りを見るとスイス人、ドイツ人、イタリア人、フランス人、いろんな人がみんなゆったりと列車に乗っています。みな、移動ではなく旅をしているのです。しかし、特急の1等席はビジネスマンです。こちらは移動をしています。パソコンを打って携帯電話で話をしています。まるで自分を見ているようでした。 

 豊かな生活、人生とは何なのでしょうか。私はずっとこのビジネスマンのようなものかと思ってきました。でも2等列車で窓の外を楽しみながらゆっくりと進むのもとても有意義な時間の過ごし方だなと感じたのです。移動ではなく旅です。結果ではなく過程です。生きるということは過程を過ごすということです。夜行列車や鈍行列車には特急では得られない何かがあるように思いました。ヨーロッパのいなか町ではなぜか時間がゆっくり流れます。