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2000年1月

2000年1月 1日 (土)

第53・54回 謹賀新年

2000年です。
ミレニアムのお祭り騒ぎから、Y2Kの不安をかきたてる情報まで、入り乱れての2000年の幕開けです。 1000年に一度だからと大騒ぎをする意味が私にはよくわかりません。 1999年だって千年ぶりの999だったはずです。
私にとっては貴重な一年でした。
そもそもある年の重要度は人によって違うはずです。
世間の尺度で決めるものではありません。 
どうも私たちは気がつくと、世間の物差しの奴隷になっているようです。
自分から不安に縛られて不自由になってしまっています。
よい機会ですから、年の始めに、既存の物差しを一度疑ってかかってもいいかもしれません。
短期合格がすばらしいという物差し。
法律家はすぐれた職業だという物差し。
頑張ることはいいことだという物差し。
でも本当にそうなんでしょうか。
苦しんでも頑張ることが本当に良いことなのでしょうか。
そんなこと誰が決めたのでしょうか。
頑張って努力すれば幸せになれるわけではありません。
むしろ、幸せで余裕があるから頑張れるといった方がいいかもしれません。
毎日のように口にしていますが、実は私は頑張れという言葉が嫌いです。
よくない意味で我を張るに通じるからです。
しかし、これも我(自己)を主張し個性を活かすという意味にとれば、前向きの言葉になります。
自分が伸びていると実感できるときは頑張っても苦になりません。
ワクワクしながら自分を活かすという頑張りは好きです。
大切なことはこうしてひとつひとつ納得することです。 
でも、ときに納得できないことも起こります。
理不尽が起こります。それが世の中です。
そんなときには全肯定がピンチを切り抜ける秘訣です。
どうして自分は頑張っているのにうまくいかないのだろうかと悩んでみることを辞めてしまうのです。

すべて自分のことなのですから、まずは受け入れます。
成績が伸びません。それでいいのです。 不合格になりました。それでいいのです。 病気になりました。それでいいのです。それが自分の全存在です。人との違いを肯定して受け入れ、しっかりと生きるのです。
差異を含めてあるがままを受け入れることはそう簡単ではありません。
しかし、今のあるがままが最高の価値であると受け入れてしまうと、もう恐いものはなくなります。

そのときどきの自分を受け入れて、今をしっかりと生きるだけです。
法律をやっているとつい「べき論」でものを考えてしまいます。しかし、たまには「である論」でいってみるのもいいものです。「べき論」からの解放、これは勇気がいりますが楽ですよ。
この宇宙の命の営みはべき論ではありません。それに身を委ねてみるのです。
この世に存在するすべてに感謝しつつまかせてしまうのです。
万物すべてが異なった存在でありながら相互依存関係に立っています。
そこで主体的に寄り掛かるのです。

個人でも国家でも、自分とは違った価値観や主義主張だからこそ個性があっておもしろいのです。

2000年。さまざまな個性がぶつかり合い、世界の人々がいきいきと生活できる年であるといいと思っています。今年が皆さんにとっても、特別の年でありますように。