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2000年5月

2000年5月 1日 (月)

第57回 学歴

 皆さんには尊敬する人はいますか。

 スポーツ選手、ミュージシャン、政治家、どんな仕事をしている人でもいいですから、心から尊敬する人、大好きな人を一人挙げてみてください。

 皆さんはその人の学歴を知っていますか。たぶん、出身高校、出身大学も、そもそも大学を出たかどうかも知らない人もいるでしょう。

 皆さんにとって、尊敬する人、大好きな人の学歴は意味がありますか。少なくとも私にはまったく意味がありません。社会においてその人の評価は、学歴ではなく、達成した仕事の中身で決まるのです。これまで生きてきた中で何を学んできたかの結果にすぎません。

 いわゆる有名大学に入ったとしても、その大学で何を学んだか、それをどう生かしたかによって、そこから先の人生は天国と地獄ほどの差がでてきてしまいます。あまり知られていない大学に入ったとしても、そこで自分の人生を左右するようなことを学ぶことができれば、それは大いに意味があったといえるでしょう。大学に入る入らないも、人生の過程の中の一つの出会い、一つの縁にすぎません。その出会いや縁を先を見据えてどう生かすかはまさに自分次第なのです。

 司法試験の勉強をはじめようとする人の中にも、自分は三流大学だからうまくいかないのではないかと思う人がいます。また、滑りどめの大学に入った人の中には、「自分は本当はこんな大学に入るはずではなかったんだ」と思ってしまう人もいるかもしれません。しかし、そういう考えはおごり、思い上がりにほかならないと思います。

 「自分の大学は三流大学で有名大学ではない」という考えの裏には、「有名大学、一流大学はすばらしい。そこに入れなかった人はダメだ」という考え方が潜んでいます。もし、あなたが、自分が思うところの一流大学に入学していたら、きっとあなたは、その大学に入れなかった人に対して、無意識のうちに見下した気持ちをもってしまうに違いありません。同じことは就職した仕事先にも言えることです。思ったところに就職できなかったからといって、それをマイナスに考える必要はまったくないのです。

 有名も無名も、一流も三流も、そんな言葉には何の意味もありません。自分の意識の持ち方一つで、いくらでもその場を自分にとっての一流の場にすることができるのです。自分の意識次第で何もかも変えることができるということを忘れてはいけません。

 私はよく、人は自分の過去の歴史を変えることはできないが、歴史の意味を変えることはできると言うことがあります。それと同じように、現在の環境は直ちには変えられなくとも、今その場にいることの意味を変えることは意識次第でいくらでもできるのです。

 自分で勝手に既成概念に縛られて自らを縛りつけるのではなく、もっと自由でありたいものです。それこそがまさに精神的自由ということなのですから。