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2000年10月

2000年10月 1日 (日)

第62回 過去と未来

「過去を忘れず、将来への警めとするという言葉があります。中国と日本との悲しい歴史は千年以上の中日友好のうち数年でしかありません。当時の日本軍国主義が悪いのであって、兵隊ひとりひとりはむしろ被害者だと思っています。」南京にある虐殺記念館でのある中国人の言葉。そこには、3年前に地面を掘り返したときに出てきた人骨を発掘状態のまま展示してある。
「上海には日本人がたくさんいるけどみんな南京に行きたがらない。避けて通ろうとするのは政府と同じだよ。でも、中国はいつも謝罪と補償という外交カードを切ってくるから、これをなんとかしないと永久に日本は中国と対等な外交はできないね。」(上海在住の中国通のある日本人)

 「日本ではなぜ戦争犯罪被害者が裁判をするといつも負けるのですか。でもこれからは、中国だけでなく日本やアメリカの弁護士と協力して日本を相手に個人補償を求める裁判がどんどん提起されるでしょうから、日本の法律家も大変ですね。」(南京の中国人弁護士)

 「何人虐殺されたか、数字にこだわって一人一人の痛みがわからない人がいるのは、やはり日本に個人の尊重の考え方が浸透していない証拠だなあ。阪神大震災のときもそうだった。政府は個人補償を頑なに拒んでいたよ。」(南京を訪問したある日本人)

 「従軍慰安婦という言葉は正確ではありません。日本軍による性奴隷制と呼ぶべきです。国連の人権委員会の決議でもそう表現されています。強制的に連行され一日に10人以上の兵士に強姦され続けていたのです。ハルモニ(日本軍慰安婦であった方を今はこう呼んでいる。おばあさんの意味)たちはここへ来てからも一時間に何度も何度も手を洗っていました。」(「ナヌムの家」(ソウル郊外で元日本軍慰安婦の方々が仏教団体の支援で共同生活をしているところ)の日本人ボランティア)

 「私は浜にいたときに、工場で良い仕事があるからと誘われてついていきました。私の家はとても貧しかったので、家族のために自分が頑張って仕事をしようと思いました。でも、連れて行かれた先は工場ではなく中国東北部の慰安所でした。当時私は17歳でしたが、村でこのことを知っている人はいないでしょう。それから3年前までずっと中国にいましたが、それはそれは苦しい生活でした。でも、あのときの兵隊さんがかわいそうです。みんな若くして死んでいきました。」(突然泣き出したあるハルモニ・83歳)

 「私は日本が憎い。だからあなたたちの写真にも入らなかったよ。17歳のとき家に一人でいたら警察が来て無理矢理、私を連れていったんだ。もちろん誰も知らないうちにだよ。慰安所のあともずっと中国だ。日本は金持ちなのになぜ賠償しないんだ。」(あるハルモニ・73歳)

 「日本の政府や裁判所は私が死ぬのを待つために引き延ばしているんだ。」(広島高裁に係属中の損害賠償訴訟の原告であるハルモニ・78歳)

 「裁判なんかやったってしょうがないのにね。酒がまずくなるよ。これから先のことを考えて生きていった方がいいじゃないか。みんな宿題をもってこの世に生まれてきたのさ。雨に打たれても風にうたれてもやらなくちゃいけないんだよ。」(日本語で上手に軍歌を歌うハルモニ・77歳)

 「個人の感情と国益は別という人がいるけれど、どう考えても日本の過去の事実をうやむやにしてしまうことは国益上のマイナスが多い気がする。それに軍との関わりが明確でなかったとしても日本人の歴史には違いないのだからきちんと子供たちに伝えるべきだと思うよ。彼らが将来、アジアで仕事をするときに何も知らずに恥をかくのがかわいそうだなあ。」(ある日本人)