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2000年11月

2000年11月 1日 (水)

第63回 建て前と本音

 「司法試験は頑張れば誰でも合格する試験ですか。」「もちろん合格するよ。」これは建て前です。では、本音はどうでしょうか。

 人は建て前と本音を使い分けるものです。これは生きていくための智恵の一つであり処世術という人もいるでしょう。本音だけで生きていけるほど世の中甘くないよという見方もあります。しかし、たまには本音で生きることも、自分を見つめ本当の自分に返るためには必要なことです。逆に、建て前だけでは疲れてしまい、息が詰まってしまうこともあります。ですが、建て前を貫き通すこともときには大切です。この建て前を貫くということが苦手な人が多いようです。

 たとえば、アメリカは他人の土地を侵略して作った国です。民主主義という建て前を崩すと誰も説得できなくなります。他国に爆弾を落とすときでさえ、徹底して民主主義や人権保障という建て前を主張し、絶対に国益のためという本音を明かしません。どの国だって本音は自国民のため、自国の利益のために行動するに決まっているはずなのですが、建て前を通さないといけないときがあることを指導者が理解しているからです。

 日本にはつい本音を出してしまう公人が多すぎます。外国人差別、女性差別、学歴差別などどれをとっても本音を出したら致命的なはずです。確かに欧米にはいまだに差別や階級意識など根強いものが残っています。しかし、彼ら彼女らは大人として、会社の中も含めて公の場ではこうした本音を隠す知性を備えています。

 ここでは建て前を理想と置き換えてもいいかもしれません。

 理想である建て前を貫き通すことの意義を我々はもっと知るべきではないでしょうか。そもそも憲法など壮大な建前論の世界です。現実に眼を転じれば眼を覆うばかりの状態の中にあっても理想を掲げ続けるところにその意義があります。確かに、個人の尊重、戦争放棄、国際協調主義も建て前であり理想にすぎません。しかし、建て前を徹底することによりそれがいつのまにか本音に変わることもありうるのです。

 場所をわきまえてこの建て前を貫き通すのが大人であり、進化しようと努力する人間の役目であると思います。建て前を貫き通そうとする信念こそが人の心を打つ力の源泉だとも思います。

 勉強していても、もうだめだと本音を吐きたくなることがあります。弱音といってもいいでしょう。でも、そんなときこそ、「やればできる。絶対合格!」という建て前を貫き通して頑張ることが必要なのです。いつかは建て前は本音になります。これは貫き通した者のみが理解できる実感です。

 「頑張れば合格できますか。」

 「もちろん合格するよ。」これは私の本音です。