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2001年1月

2001年1月 1日 (月)

第65・66回 謹賀新年

 戦争、テロ、貧困、飢餓、疫病。これらは21世紀を迎えるにあたって人類が抱える課題です。こうした世界が直面する大問題とはまったく無縁に生きていくことができる日本において、国際社会における日本と自分の役割を考えることはとても難しいことです。戦争を体験したことのない世代はイマジネーションの欠如ゆえにその残忍さを理解できません。今日の食べる物さえ必死で探し求めなければならない子どもたちがいることを想像すらできず、大量の残飯を廃棄します。

 自分の合格という幸せを考えること、そして家族の幸せ、目の前で困っている一人の幸せの手助けをすること。これらはとても大切です。一人を幸せにできずに世界に貢献できるかと言われることもあります。ですが、世界の幸せと個の幸せはつながっているのだと思います。他人の不幸のうえに成り立つ幸福は真の幸せとは思えません。それと同じく他国の人々の不幸の上になり立つ自国民の幸せも本物とは言えないという感覚をもつことが大切ではないでしょうか。そして、国家という枠組みも改めて考え直してみる必要があるように思います。世界の人々が幸せになる道具として有用ならばいいでしょう。しかし、統治する者にとって便利なだけで、この国家という概念ゆえにかえって人々が不自由になったり、不幸になったりしたのでは本末転倒です。

 毎日、生きていくだけで精一杯という子どもたちを大量に抱える国に貧困と飢餓の問題を解決しろと要求するのは無理な話です。戦争に明け暮れている国に武力以外の平和維持を考えろという方が非現実的です。そうした問題とは無縁の生活をすることができる国であるからこそ、逆に解決方法を提言することが可能なのではないでしょうか。そうしたことを考えるだけの余裕のある国や者の責任であると考えます。

 これからは、人間というものに対する理解が求められます。

 人間は残酷でどうしようもない生き物であり、戦争やテロなどの殺し合いは絶対になくならない、だから武力によらない平和など幻想だと考えるのか。それとも人間は絶対に戦争をしてはいけないのであって、それは可能である。人間そのものへの信頼を基礎において世界を考えるのか。憲法は非現実的と言われようが、後者を選択し、そのための努力を我々に課しました。私たちだけが戦争、テロ、飢餓などとは無縁だからこそ、人類の到達したことのない新たな境地に踏み込んでいけるのだと考えています。

 日本国憲法の存在するうちに、そうした壮大な実験を心置きなくやっておく必要があるように思われます。憲法は私たちにこうして人としての生き様を問いかけてきています。
 それに答えることが我々の使命です。世界中の一人ひとりの個人を尊重する、そんな生き方をあなたはできますか。

 この一年をどんな年にするか、それは個人の意識の積み重ねでしかありえません。どうなるかではなく、一人ひとりがどうするかの問題なのです。まさに私たちが「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と本気で思うかどうかの問題なのです。