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2001年6月

2001年6月 1日 (金)

第70回 ある宣言

 2001年元旦に30歳の人のうちの72%、40歳なら57%、60歳でも31%。一体、何の数字だと思いますか。なんと、2101年の正月を迎えられる人の割合だそうです。ある雑誌の記事だったのですが、ホントかなというのが本音でした。いくら医療技術が進み、癌や心臓病などの死亡率が下がったとしても、21世紀半ばに平均寿命が150歳になるとはにわかには信じられません。ですが、これを単なる絵空事として笑い飛ばすのもひとつですが、ちょっとそれを前提に人生を考えてみるのもおもしろいなと感じたのです。

 ここだけの話ですが、実は私は、この記事を見る前から150歳まで生きようと思っていました。リアクションが怖いので公表を控えていましたが、6月にはまたひとつ歳もとることだし、いい機会なので宣言します。
「私は150歳まで生きることに決めました。」

 さて、こうして決めてみると、いろいろなことが見えてきます。たとえば、私はいつまで憲法の講義をして熱くなっているのでしょうか。憲法の思いを伝えたいという原動力があるから、今は頑張っていますが、それでも100歳をすぎて「皆さんこんにちは!」「元気がないなあ、もう一度!」なんてやっているとちょっと怖い気もします。潮時というものがありそうです。でもそれからまだ50年もあります。さて、何をしましょうか。

 こうして150年先を意識すると、気持ちの上でずいぶん余裕がでてきます。毎日、少しぐらいうまくいかないことがあっても、あと110年近くもありますから、そのうちにはうまくいくだろうと考えることができます。歳をとっても気になりません。これは精神衛生上、かなりイイ感じです。

 自分の失敗も正面から受けとめて、うまく次に活かすことができれば、失敗はまさに成功の素となります。ですが、余裕がないと自分の失敗を失敗と認めることができず、他人のみならず、自分をごまかそうとしてしまいがちです。

 私はいつも感情を大切にして、失敗したときの悔しい、悲しいという自分の感情をごまかすことなく正面から向き合うことを勧めています。それはこうした経験があると、そこから必ず教訓を得ることができ、それを他にも応用して、自分の人生を豊かにすることができるからです。

 ただ、そのためには自分自身の生き方に余裕がなければなりません。まわりから見たら大したことない失敗であっても、真剣に努力した本人にとっては、重大事です。失敗を受け入れてそこから学ぶという姿勢はそう簡単にとれるものではありません。そのときに必要なことは、すべてを受け入れるという意識です。そしてそれは、自分を相対化することによって可能になります。長い地球や人類の歴史の中での自分、広い世界の中の自分というものを考えることです。そのときに自分の人生も長い目で見ることによって、自分に起こった出来事の本質や意味を考えてみようとする余裕が生まれます。少なくとも私には人生150年時代を意識することは、心の平穏を保つ上で、極めて有効に機能しているようです。