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2001年7月

2001年7月 1日 (日)

第71回 J S A

 JSAという韓国映画があります。南北分断を正面から取り上げ、南北の軍人の友情を描いたものですが、これを韓国の人はどのような思いで観るのでしょうか。シュリ以上の人気だったそうですから、多くの若者が支持したに違いありません。

 私は日本人で、もちろん徴兵された経験などありませんから、2年間の兵役のもつ意味などきっと理解できていません。バックに流れるキム・グァンソクの切なくもすべてを包み込む歌声を本当の意味で感じとれていないのでしょう。それにしても銃撃戦の際に流れる歌の中の「美しく生きていたいのに人はどうして生きられない」というメッセージは強烈です。民主化の過程で多くの若者が犠牲になっていった現実を目の当たりにしながら、自らの手で国を創っていった韓国の人々にどれだけのインパクトを与えるのでしょう。

 自ら闘い、民主主義を勝ち取り、その反面、国の体制との関係では国家保安法という非民主的な法を存置しなければならない矛盾を抱えている国です。現在でも人権と民主主義のために闘い続けている多くの法律家がいる国です。大陸からの侵攻の犠牲になり、日本からの侵略に闘い、そして今でも大国間の争いの残滓と闘い続けている国です。

 朝鮮半島の国々はいつも大陸と日本の間でその双方が攻め進む通路となり、国土を踏みにじられてきました。ヨーロッパにもポーランドという国が同じような犠牲にあっています。交通の要所にある国は文化的に発展する代わりに、戦争のときには苦しい犠牲を強いられます。

 自ら侵略する思いなど毛頭なくとも、大国の犠牲となり同じ民族が対立し合う関係は本当に悲しいものです。人を幸せにするはずのイデオロギーが人を不幸にしていく構図は、これまでも世界中に存在してきました。国の体制と個人の幸せは一致するものではないと思わざるを得ません。

 海という自然の国境しかもたない国の私に、人為的に引かれた国境線の意味が理解できるのでしょうか。小学生のころ白地図に引かれたアフリカの国境線を見て驚き、国ごとに色分けをしなければならないことをとても不思議に思ったことを思い出します。

 国という概念を超えることは海に囲まれた日本人にはとても難しいことのようです。民族や言語、文化、風習が異なる人々と共存することを意識的に学んでいかないと、国という概念の奴隷になりかねません。そもそも日本人には、朝鮮半島や中国大陸の人々の血が入っています。民族の純血性などこの日本という国では、科学的にみてまったく無意味です。そんなことにこだわるのではなく、純粋に一人の人間としての誇りをもって生きていけばいいように思います。

 その際、他の国々から、また過去の歴史から多くを学びとる謙虚さが必要です。韓国と日本の関係は教科書問題によって政府レベルではぎくしゃくしてますが、幸い、民間レベル、市民のレベルでの交流は今まで以上に盛んなようです。ただ、前提となる歴史認識がくい違う人々同志で、交流し、理解を深めることは至難のわざです。法律家は事実に基づいて、自分の価値観で物事を判断することが仕事ですから、こだわる部分とこだわりを捨てる部分が必要となります。人間は偏見から完全に自由にはなれません。しかし、そのことを承知の上で、意識の世界では自由になることが必要なのだと思っています。