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2001年10月

2001年10月 1日 (月)

第74回 ソフトパワー

 9月11日。多くの方が亡くなりました。残念でなりません。一人一人それぞれ人生があっただろうし、家族や愛する人を残して逝くことの無念さを思うと言葉もありません。これだけ多くの人の死は何を意味するのでしょうか。さらに多くの人の命を奪うことで解決する問題なのでしょうか。物事には必ず原因があります。国民の生命を守る責任がある国家は、原因の究明とその根絶にどれほどのエネルギーをかける覚悟でいるのでしょうか。

 暴力によって自らの主義主張を通そうとすることは人類が昔からやり続けてきたことです。絶対的な報復を国民が一丸となって進め、悲劇を繰り返す。戦争状態のときにはどこの国でもがやってきたことです。

 アメリカはテロを根絶するといいます。しかし、それは人の怨恨を根絶すると言っているに等しいことですが、報復という暴力によってそれが本当に可能だとは思えません。今回の事件は残念ながら世界一の軍事力をもってしても国民の安全は守れないことを実証してしまいました。不幸の連鎖だけは絶対に避けなければなりません。

 最近、ある雑誌で、ソフトパワーの重要性について触れているものを見つけました。これからは軍事や経済力など相手の有無を言わさず力づくで他国に自国の考えを押し通すような伝統的な国力(ハードパワー)ではなく、自らの持つ魅力によって、自国の望むことを他国も望んでいるという状況を作り出し、それによって自国に望ましい結果を得やすくする能力(ソフトパワー)が国力として重要性を増しつつあるといいます。そしてそのソフトパワーの基盤になるものは、魅力的な文化、価値、理念、国際会議での課題設定能力、情報力、国としての評判、信用性などだそうです。

 どのような価値に重きを置くかはとても難しい問題ですが、すべての人類が平和のうちに共存できるようにするという方向性は否定しづらいものと思います。

 私は京都議定書の問題、教科書問題のときにも、日本の国としての評判や信用性を高めるいいチャンスだったと思うのですが、失敗しかえって評判を下げてしまいました。今回の事件は日本の存在を示す3度目の機会です。

 そもそも世界各地で起こっている戦争や内戦の際に使われる武器の多くは先進諸国が作り出したものです。世界の武器輸出の45%をアメリカが占めており、米英仏3ヵ国で80%、これに中国・ロシア・ドイツを加えると95%になるといいます。日本はこの時点でも世界の紛争原因に荷担していないという誇りをもっていいはずです。

 人は大きなショックを受けると動揺し本筋を忘れることがあります。日本でも今こそ、湾岸戦争のときの汚名を返上すべきだとやっきになっている人もいるようです。9条が想定していない事態だという人もいますが、こうした事態に陥る危険があるからこそ9条は武力による国際紛争解決は無意味だと訴えていたはずです。

 国家の役割は国民を危険にさらさないことですが、アメリカはそれに失敗しました。さらにアメリカでは暗殺を認める法を容認しようという動きまであるようです。これでは適正手続や人権そして民主主義などはみな方便にすぎないことになります。確かに従来の政治の世界ではこれらの価値は、単なる方便だったのかもしれません。ですが、だからこそこれからは普遍的な価値を追い求めなければならないのです。それを忍耐強く続けることが法を学ぶ者の役割であり、ソフトパワーの基盤になるものだと私は信じています。