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2002年6月

2002年6月 1日 (土)

第82回 不安と誇り

 試験の勉強を続けていて、一番不安なことは先が見えないことです。このままやっていて本当に合格の日が来るのだろうか。去年一年間あれだけ頑張ったのに択一の点数はほとんど変わらなかった。会社を辞めて死ぬ気で頑張ろうと決意したのに、毎日不安で不安でたまらない。今さらのように自分の精神的な弱さを見せつけられるようでつらい。苦しいことは覚悟で始めた勉強なので泣き言は言いたくない。けれど、周りの人はうまく講義についていっているのに、自分はわからないことだらけ。会社を辞めたときの生活費もそろそろ底をついてきた。家族にももうこれ以上は迷惑をかけられない。どうしよう。どうしよう。

 こうして自分を追いつめて不安にさらに拍車を掛けている人はいませんか。合格者は皆、大なり小なりこうした不安と闘ってきたんだ、そんなこと頭ではわかっているけれど、どうしても身体がついてこない。

 きっとこれはあなただけの問題ではありません。知能をもった人間であれば誰もが感じる不安という魔物に捕らわれているのです。そもそも先がはっきり見える人生とは何でしょうか。そんな生き方がこの世の中に存在するのでしょうか。会社にいれば安心なのですか。試験を辞めれば生きていく不安はなくなるのですか。

 頭の中でいろいろと考えることができるから人間は進歩します。しかし、逆に考えることができるからこそ、余計なことを考えて勝手に不安になってしまいます。不安になるということは考える力の証です。不安を除去しようと思ってあがいても無駄なのかもしれません。この際、この不安に身を任せてしまうのも手です。正面から不安という自分の創り出した魔物にとことんつき合ってみるのです。不安の元はなんでしょか。本当にやりたかったことはなんだったのでしょうか。自分の本音はなんだったんでしょう。人間という生き物の最後に行き着く不安は生存の不安だと思います。では、この世の中で生存できないとなぜ不安なのでしょうか。とことん考えて、この答えを見つけられたらきっと不安から解放されると思います。

 私は重大な決断をするときに、本音は何か、本気で何をやりたいのかを自分に問いただすことにしています。そして心からの叫び、本音に答えることができたなら、その結果がどうなろうとそれは自分の本音の結果なのだから、受け入れるようにしています。うまくいくこともいかないことも当然あります。しかし、本音で生きることができるのならそれで充分です。
 これから先何をすべきか迷ったら本音で考えること、どんなときでも本気で仕事をすること、そうやって本物をめざすこと。誰もがよりよく生きたいと願っていると思います。かっこもつけたいでしょう。楽もしたいでしょう。ですが、何より、人の役にたって自分が生きている意味を見つけたいと思うのではないでしょうか。人は生まれて死ぬ。これだけが確実なことなのですから、そこに何かの意味を見つけたいと思うのは人間の本能に近い欲求だと思います。司法試験など所詮、選択肢の一つにすぎません。他の道で人の幸せづくりに貢献している人は無数にいます。自分が決めた道を突き進むことに何の恐怖がありましょう。自分の決めた道を自分で変更する事に何の躊躇がいりましょう。自分の人生なのですから、堂々と自分で進み、あるいは誇りを持って自分で変えればいいのです。それだけです。