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2002年8月

2002年8月 1日 (木)

第84回 準備と失敗

 完全に準備ができていないと、前に進めないということはありませんか。完璧に復習が終わってから次に進もう、講義をマスターしてから答練を受けようという具合に。

 確かに何かを進めるときにきちんとけじめをつけながら進めることは大切なことです。しかし、完全な答えを出してからでないと先に進めないという生き方を常にしていると、ときにまったく進めなくなってしまいます。正解などないこともこの世の中には数多くありますし、先に進みながら考えることが大切なときもあるからです。

 このあたりは語学と一緒なのかもしれません。うまくなってから話そう、文法的に正しい構文だけ話そうと考えていると何も言えません。

 こうしたときに大切なことが2つあると思います。一つは、主体的に獲得したいものがまずあって、勉強は手段だということ。もう一つは、失敗を怖れてはいけないということです。
 まず、何か伝えたいこと、得たいものがあることが必要です。そしてそのために何か行動にでることです。自分から主体的に獲得しようと前に出ていかなければ何も得られません。貪欲に何かを欲するものだけが、与えられ得られるのです。そのときに完成してから主張しようとすると、いつまでたっても何も言えません。なぜなら、完成することなどあり得ないからです。それは永久に外に出られないことを意味します。そもそも自分というものは、自分と外との関係性の中で作られていきます。ですから、自分だけ完成させてから外にでると考える必要などないのです。たとえば、しっかりと資格を取ってから社会に発言しようと遠慮する必要もないのです。今の自分も立派な一個の人間であり、社会の一員なのですから、どんどん発言し行動すればいいのです。

 次に、失敗はよく言われるように貴重な財産だと考えることです。一般的にマイナスのイメージがつきまとう失敗を忌み嫌わずに、直視することで失敗を新たな創造というプラス方向に転じさせることができます。教育現場で必要なことは、伝えるべき知識を失敗を怖れずに体感・実感させることであり、本当の意味で身について使える知識は、そうした体感・実感を伴うものだということです。

 あるアメリカのロースクールの教授の話を伺う機会がありました。単に知識を伝える教育では限界がある。自分の頭で考えるようにしなければならない。そのためには、体験が必要である。現場で必要な体験を学習の過程で問題を通じて疑似体験することによって、失敗も含めて実際に自分が実務に出たときのことをイメージすることができるので、勉強にも身が入り、知識も自分のものになるというのです。

 私たちは、受験勉強の体験を通じて、ある程度は自分の行動パターンや自己管理に関しての失敗を経験できるはずです。勉強計画であれ、択一、論文、口述であれ、どれも挑戦の結果の失敗であれば価値があります。失敗の分析の過程で、自己弁護が入ると正しい原因が見つからず、そこから得られるものもなくなります。失敗を単純化せず、細かい経過や原因をすべてさらけ出すことです。こうした体験が経験的知性となって力になっていきます。まずは失敗を怖れずに行動してみることです。