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2002年9月

2002年9月 1日 (日)

第85回 故郷

 お盆の時期になると、里帰りをする人でどこの交通機関も大混雑です。

 そんな人たちをみると、大変だろうなと思う反面、とてもうらやましく思います。

 私にはこうしてお盆に帰るような故郷がありません。両親の里はあるのですが、自分の生まれ育った帰るべき場所というようなものがないのです。自分の生まれた東京の下町はもうずいぶんと様変わりしてしまいましたし、帰るような家はとうにありません。

 こうした根無し草のような人間が日本を愛し、日本国憲法を大切にしようということができるのかときどき疑問に思うことがあります。

 しかし、権力主体としての国家を愛するという意味ではなくて、国籍と関係なく自分の生まれ育った故郷が大切だという気持ちはごく自然の感情のような気がします。これは直接の血のつながりとは関係なく自分の家族を大切にする気持ちと似ています。たとえば自分の親は自分とはまったく別の人格ですが、それでも大切にしたいと思うのが人間です。私の外国の友人には養子をもらっている人が多いのですが、彼ら彼女らの関係は実の親子と何の変わりもなくごく当たり前の家族として愛し合っています。そして、自分の近隣の人を愛し、自分の住んでいる地域を愛しています。

 子どもの頃ドイツに住んでいたときの忘れられない想い出があります。それは、私が市電に乗って座ろうとしたら、ドイツ人のおばあさんが「子どもは立っていなさい」と私を叱るのです。そのときにはわかりませんでしたが、今から思えば、同じ街に住む仲間として扱ってくれたのだと思い感謝しています。まったく見ず知らずのアジアの子どもに対しても、きちんと地域の大人が育てていくということが当たり前になっているのです。また、年輩者に対して誰もが丁寧に対応し尊敬するということも成熟した社会の証のような気がします。自分を支えてくれた前の世代、これからを担う次の世代を尊重することは、生死を意識して生きることです。世代間の接点としての地域を意識することによって、それが一層強化されます。また、さまざまなハンディをもった人に対する対応も同様です。地域を愛するが故に弱者に対しても、排斥ではなく受け入れ、共生していく姿勢が生まれます。

 それは自分が社会の中の存在であり、自分ひとりでは生きられないことを自覚することに他なりません。それは謙虚さの現れでもあります。自分ひとりでは何もできないがゆえに、地域の仲間を大切にするのだし、自分の世代を作ってくれた先輩たちにも敬意を払い、自分の世代を次に支えていく子どもたちをも大切にするのです。

 そして、このように自分の生まれ育った地域や社会を大切にしたいと思えば、当然にその地域や社会の将来をどうすべきかを考えることになり、政治、環境、教育などに無関心ではいられません。こうして民主主義が成熟していきます。

 皆さんが法律家や公務員として、自分の生まれ育った地域に貢献することは、こうした意味で日本の民主化の大きな力になると思います。

 私にはお盆に帰って気を休めることができる特定の故郷がありません。ですから、せめてこの国とアジアに貢献できたらと思うのかもしれません。