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2002年10月

2002年10月 1日 (火)

第86回 仲間

 ゴルフが好きな人には申し訳ないのですが、私はゴルフができません。弁護士になりたての頃はつきあいで練習もしました。ですが、ある日、国内線の飛行機の窓から眼下にゴルフ場が見えたときから全くできなくなりました。きれいな森の中に開発されたコースがあたかも鋭い爪で地面をひっかいたように見えて、地球がとても痛がっているように感じてしまったのです。悲しくなり不覚にも涙が出てしまいました。あきれるような話なのですが、この時以来どうしてもゴルフができません。実はヘタッピだからだという説もありますが、本当です。
 先月、地域を愛するという話をしました。自分の故郷や生活する地域を愛するだけでなく、その範囲がどんどん広がっていくといいなと思っています。この夏、ドレスデンやプラハが洪水で大変な被害にあいました。それらの地域に対してEUが融資して救済しようとしています。これも自分たちの地域の問題として国家を越えた意識が働くからに他なりません。交通、通信の発達によって自分には無関係だとして見て見ぬ振りをすることができなくなってきたのです。

 こうして自分が関わる範囲が広がることで自分のこととして考えることができる範囲が拡大します。自分の地域を愛するだけでなく、仲間のこととして大切に思えてきます。たとえば沖縄の友人が増えれば沖縄がいい島になってほしいし、韓国人の知り合いが増えれば、南北統一も人ごとでなくなります。

 一方、私にとって中近東や中央アジアは遠い国です。ですが、アメリカ人の命とアフガニスタン人の命の価値が違うとは思えません。パレスチナでは何十年も前から罪もない民間人が数万人以上虐殺されていますが、世界は声を上げません。アメリカで事件が起こると大騒ぎです。きっとアメリカ人は仲間だという意識が強いからでしょう。仲間意識はときに排外主義を招きます。しかし何か違う気がします。

 あらゆる国際的な協力は地球人としての共生意識の現れであるべきです。住んでいる地域や経済的な利害、宗教、文化などによって仲間とそれ以外を区別して仲間だけを助けるのではなくて、人間として、地球人として仲間意識を持てるようにならないものでしょうか。みな、この地球のかけがえのない仲間だと思うことができたらどんなにすばらしいことか。さらに進んで動物も植物も宇宙の中の同じ生命体として自分と一体なんだと大きな愛を感じることができたら、もっとゆったり生きていくことができるような気がします。

 日本の憲法は、世界の人々は信頼に足りる仲間だという前提でできています。他国や他人の不幸のうえに成り立つ幸せは本物ではないという感覚を私たちに教えてくれます。全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を享受できるようになるために私たちに何ができるでしょうか。法律家や公務員は自分の能力を人のために活かす仕事です。世界の幸せの総量を増やすことができる仕事です。紛争地域の子どもたちの怯えた顔が一人でも笑顔になったらこんなにすばらしいことはありません。青臭い理想かもしれませんが、人にはときにそうした理想も必要です。ゴルフ場を見て涙するのは少し滑稽ですが、愛すべき隣人に声をかけることくらいはできそうです。