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2002年11月

2002年11月 1日 (金)

第87回 抵抗

 試験の結果は常に冷徹です。有無を言わさぬ事実として私たちに降りかかってきます。
法律家をめざす私たちはこの事実を受け止めなければなりません。
人はときに、受け入れがたい事実に直面します。9月11日の被害者の方もそうですし、アフガニスタン攻撃の誤爆により殺害された民間人もそうです。北朝鮮に誘拐された方々のご家族はこの理不尽な結果をどこへ持っていけばいいのでしょうか。


 生きるということは重くのしかかってくるさまざまな事実を受け入れるということです。

 相手がいる問題であるときには、怒りと憎悪を相手にぶつけることができます。被害者や遺族の苦しみや慟哭を仲間が共有し、理不尽を引き起こしたその原因を憎むことは大切なことです。しかし、憎しみの連鎖では何も解決しません。

 ではただひたすら受け入れるしかないのでしょうか。いいえ、事実を受け入れるということと、何もしないことは同義ではありません。なんらかの方法で抵抗することはできるのです。もちろんその手段は問題となりますが、理不尽がそのまま放置されていていいはずがありません。

 事実を受け入れ、次に抵抗する。私たちは、抵抗する自由をもっています。自分の負けそうになる気持ちに抵抗すること。方向転換することへの不安に抵抗すること。平穏なリスクのないように見える生活に戻りたい気持ちに抵抗すること。親や友人のもうそろそろ潮時ではないかというアドバイスに抵抗すること。いわれのない誹謗中傷に抵抗すること。自分の運命に抵抗すること。

 抵抗することは無駄だという人もいます。確かにナチスに抵抗した人々は、ヒトラー暗殺計画が失敗し処刑されました。抵抗した軍人、聖職者、学生、官僚、外交官、実業家、労働者、共産主義者など様々な立場の人たちを顕彰した抵抗記念館がベルリンにあります。家族に囲まれて幸せそうな写真の中の人物が自分の信念のために散っていきました。守るべきものを持ちながら、抵抗するその姿に心を打たれます。しかし、残された家族の悲しみと苦しみはいかばかりであったでしょうか。抵抗することはこうして代償を伴います。しかし、それでも抵抗することに価値があると信じて闘うのです。事実を受け入れることと同じくらいに、リスクを背負って抵抗することも尊いことです。

 ロックの自然権思想は抵抗権で完結します。自由と抵抗することは不可分一体です。私たちには自分の人生を自分で決める自由があります。それは同時にその決定を妨げるさまざまな要因に抵抗することでもあります。決して言い訳をせず、人のせいにしないで、リスクを背負って自分の人生に責任をもって立ち向かう。そうした生き方を私は美しいと思います。

 そもそも理想や志がなければ、事実を受け入れる必要もなければ抵抗する対象もありません。もっと楽な生き方ができるのかもしれません。しかし、志をもちそれに向かって努力することは価値あることです。他人にどう思われようと志のために抵抗する姿は凛々しく美しいものです。何があろうと自分の志を高く持ち続け、自分の信念のために抵抗し続ける。これも不器用ながら美しい生き方です。この塾からそんな法律家が一人でも多く巣立っていってくれたらと思います。私も自分の信念のためにどんなに苦しくても闘い続けるつもりです。