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2003年7月

2003年7月 1日 (火)

第95回 風景

今、週に2回、京都校で講義を行っています。水曜日は夜行の寝台列車で帰るのですが、さすがに汽車好きの私も毎週となると飽きます。窓の向こうの風景を眺めながらいろいろと考えます。時代を見抜く目は、風景を見る眼を磨くことによって養われるということを読んだことがあります。いろいろな環境、風景、空間を観察する中から、風景を支配するものを捉え直し、自分の眼を養うのです。風景を観察する自分は、風景を見ながら自分を観察しています。風景を見るという行為は風景の中に何を感じるか、自分の心の中を見ているのです。毎週見慣れたはずの風景が違って見えます。

 気心の知れた友人たちとある地方の温泉宿に行きました。湯につかり、ホタルを見て世間の憂さを忘れます。友人が見つけてきてくれた所ですから、場所もよくわかりません。その上、携帯も圏外です。市街地からほんの2時間ほどの距離なのですが、世間と隔離された空間を堪能しました。友人とさまざまな話をし、気づきがあります。友との語らいの時間は自分を相対化して見ることができる貴重なチャンスです。童心に戻っての悪ふざけは学生時代の修学旅行そのものです。少しくらい羽目を外しても許されるような感覚に陥ります。世間のことは一切忘れてただじっと暗闇で飛び交う光を追いながら、光の奥の秘密を探ろうとする自分をおもしろがります。

 私にとって自分の存在は世界との結びつきの中にあります。ですから、法律という世界を越えて、いかに多様な世界と接することができるかが、自分を広げることにつながります。できるだけ自分を投影できる風景に触れることができるように、関心の幅を広げようとします。旅行に行くこともそうですし、新しい仕事に挑戦することも、共に新しい風景に出会いにいくことであり、私にとっては同じ意味を持ちます。積極的に新しいことに挑戦しようとしている自分自身も自分にとっては新しい風景の一部です。あまり後先を考えずに挑戦するものですから、失敗することもよくあります。ですが、それも新しいひとつの風景ですから、楽しむことにしています。今の時期の若鮎は実にうまい。うまいと感じる自分にとってその瞬間は仕事でうまくいったときの満足感と同じです。

 よく楽しみの時間を仕事のための充電ということがあります。逆に、遊ぶために働くという人もいます。私にとっては、仕事も遊びも等価値です。どちらも楽しみであり、楽しめるかどうかを価値基準として判断します。仕事も創意工夫ができる楽しみと思えば苦ではなくなります。新しいことを創造する遊びの場と同じように重要な人生の本番です。

 こうした遊びや仕事を楽しむためには、自由に生きることができなければなりません。規則も大切ですが、一定のルールの中で自由であること。この自由に私は最大の価値を置いています。自由と楽しみ。こうした価値を心から愛することができれば、あらゆる瞬間が自分にとって貴重な時間となります。受験生にとって試験当日は緊張する貴重な時間です。ですが、その時間は自分が選択して得たものです。貴重な自己決定の結果なのですから、大いに楽しむべきです。緊張感を楽しむことができればイヤな時間ではなくなります。緊張している受験生の中の自分という風景を楽しむのです。そして試験が終われば、また別の風景を見ることができます。試練の後では日本の夏もきっと違って見えるはずです。