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2003年8月

2003年8月 1日 (金)

第96回 別の人生

 「他人が笑おうが笑うまいが自分で自分の歌を歌えばいいんだよ。歌に限らず他人の判断ばかりを気にしていては本当の人間として責任がもてない。もし自分がヘマだったら、ああおれはヘマだなと思えばいい。もし弱い人間だったら、ああ弱いんだなあでいいじゃないか。」太陽の塔の岡本太郎氏の言葉です。本当に強く生きることのできる人の言葉だなあと思います。私なんか、ときどき何もかもオールリセットにして、やり直したいときがあります。自分の人生をもう一度やり直したらどんなだろうかと思います。

 もう一度学校に入り直して、留学もして、違う仕事をして、違う人と巡り会って、何もかも違っていたら、もっと楽に生きられるかもしれないと考えることがあります。弱気になっているからそんなことを考えるんだということはわかっているんです。ですがそれでも、もし、何カ国語もペラペラだったら、お金儲けの才能がもっとあったら、歌を上手に歌えたら、ピアノがかっこよく弾けたら、人付き合いがもっとうまければと、ないものねだりをしている自分がいるのでいやになります。無意識のうちに、努力しないでそうした才能が天性のものとして与えられていることを想像しているのです。違った人生であればよかったと思っているようで、実は、もっと楽をして生きたいと思っている自分がいることに気がつきました。自分がこうであればいいのにと思うことはみな、天才のように思えても、実は努力が必要なことばかりです。

 前にスイスの友人と話をしているときに、その場にドイツ人が来ました。すると彼はそのドイツ人とはドイツ語で話を始めます。また、レストランのフランス人のウエイターとはフランス語で楽しそうに冗談を言い合い、かかってきた携帯電話ではイタリア語で受け答えをしていました。とても自然で、うらやましく思いました。自分もこうしてスイスで生まれ、いろいろな言葉の中で育ったのならこうなれたかもしれないとうらやましかったのです。ですが、その後、彼から子どもの頃の語学の勉強が大変でつらかったという話を聞いて、彼も努力してこうなったんだ、いやこういう自分を創ってきたんだと気がつきました。生まれつきの才能によって苦労もせず何カ国語も使いこなせると勝手に思いこみ、うらやましく思っていた自分が恥ずかしくなりました。

 私は違う人生であればいいのにと思いつつ、実は楽をしたかっただけなのです。しかも、必死の努力によって力をつけてきた人たちを楽してそうなったと勘違いしてうらやましいと思っていただけだったのです。自分はそのような努力をしてこなかった。ただその結果が今あるだけなのに、それを棚に上げて、生まれつき楽にそのような才能があればなあと思いこんでいるだけだったのです。

 きっと、どのような人生でもそれなりの苦労はあるに違いないし、また、どんなにすばらしい才能をもっていたとしてもそれを伸ばすのは本人の努力以外の何ものでもない。だから、他の人生だったらと思い悩み、人をうらやむことはやめることにしました。仮にどのような違った人生であっても、またそのときにも同じことを思うのだろうなと予想すると、今を大切にするしかないことがわかります。そして逃げないで、進む。自分の弱さを知っているだけに、死ぬときも前のめりに倒れたいと思います。「自分を賭けることで力が出てくるんで、能力の限界を考えていたら何もできやしないよ。」(岡本太郎)。