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2004年3月

2004年3月 1日 (月)

第103回 学び上手

 渋谷の伊藤塾前の小さな広場は若いダンサーたちで一杯です。いつのころからか、自分のダンスをビル1階のガラスに写して練習するため、若者がぞくぞくと集まるようになりました。週末ともなれば、何組ものダンスグループがひしめき合っています。飛んだりはねたり大変そうですが、うまく踊り続けている人たちを見たことがありません。数ステップ踊っては失敗し、フォーメーションを確認し、またガラスに向かいます。懲りずに何時間も繰り返しています。同じビルの5階では数百人の受験生が答練を受け、問題に向かっています。こちらも失敗を繰り返しながら、明日の法律家を目指しています。

 人が何かに向かってひたむきに努力する姿はいいものです。部外者からは何の意味があるのだろうと思われても、自分が納得するまでひたすら頑張るその姿はとても人間らしくて私は好きです。失敗しても何度でも向かっていく、ひたむきな前向きさをそこに見いだして勝手に勇気づけられるからでしょう。

 最近、法科大学院入試の結果報告をぞくぞくと受けます。何校にも合格してうれしい悲鳴を上げている人もいます。しかし、希望どおりの結果がでなかった人、こんなに厳しいとは思っていなかったという人も少なからずいます。それでも挑戦したことを悔いている人はほとんどいません。

 自分が何かに挑戦した結果の失敗であれば、よくいうようにそれは失敗ではありません。何も挑戦したことがない人はそのような失敗を経験することはありえないのですから。試験に不合格になりたくなければ、受験しなければいいだけです。新しいことに挑戦しようとするからこそ、失敗を経験し、そこから学ぶチャンスを得ることができるのです。

 択一試験であろうと、法科大学院入試であろうと、挑戦しなければ何も始まりません。うまくいったときもいかなかったときも、そのあとが重要なのです。よくいわれることですが、成功願望の強い人ほど失敗を恐れてリスクをとれず、かえって大きな成功を逃してしまいます。挑戦することは勇気のいることですが、とても価値あることです。

 失敗は一時的です。というよりもそれを失敗にするか否かは本人次第です。他人から見れば失敗と思えるようなことであっても、そこから本人が大きなものを得ることができれば、それは十分に価値ある結果だったといえます。自分の幸せは自分で定義することが個人の尊重の理念からは求められています。同じように失敗も自分で定義すればいいのです。世間の定義づけに従う必要はまったくありません。

 ということは、勉強計画がうまく進まない、模試の成績が伸び悩んでいる、突然プライベートな事情で勉強を中断しなければならなくなった、といった受験生にとっては大きな出来事もみな失敗でもなければ挫折でもないのです。

 人は生きている限り悩み続けますし、挑戦する限り失敗し続けます。悩みも失敗も自分が積極的に生きている証拠なのですから、否定しないことです。試験前の時期は誰もが苦しい時間を経験します。不安、焦り、いらいらなどありとあらゆる否定的な感情と闘わなければなりません。ですが、その闘いこそ法律家を目指す者には不可欠の過程なのです。今、この瞬間も自分にとっては貴重な成長のプロセスなのだと認識して、ぜひ乗り越えてください。何をするにも挑戦と失敗の繰り返しがなければ結果を出すことはできません。