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2004年4月

2004年4月 1日 (木)

第104回 さくらPart II

 卒業式や入学式シーズンですが、公立学校の現場は例によって、日の丸、君が代の徹底で大揺れです。法律で規定された国歌や国旗を教育現場に強制し、従わない教職員は服務上の責任を問われるそうです。そのうち「すべての式典においては国花である菊を飾ること」という法律ができるのではないでしょうか。

 こうして現場ではことごとく異論が封じ込められていきます。テロとの闘いは有無を言わさぬ正義になりつつあります。自由に議論が出来ない国、安心して自由に発言できない国、既成事実をつくりどんどんと戦争のできる国へ突っ走る国、そんな国を愛するように強制する国。私たちは本当にそんな国に住みたいのでしょうか。

 ひとり一人を人間として尊重し、お互いの違いを認め合い、弱い立場の者へのいたわりを忘れない国、たとえ国際貢献という美名の下にも軍事力という殺し合いの道具を持つことへの誘惑に打ち勝った国、暴力の連鎖を断ち切るために世界に散在する構造的暴力の解消に全力を尽くす国、そんな国になることが世界のどこにもない日本のあるべき姿であると憲法は考えているはずです。根本の価値は「平和の中で自由に生きること」にあります。それに対して、国が何かを強制する。このことにもっと敏感になるべきだと思っています。

 菊とならぶもう一つの国花がさくらです。法律なんかで強制されなくても多くの人がこの花を愛します。海外で見かけてもなぜか日本の花として誇らしげな気分になります。国のシンボルとはこのように自然にわき上がる気持ちから生まれるものであって、決して法律で強制するものではないはずです。愛国心と同じく強制された瞬間それは自発的なものではなくなり、真の意味は失われてしまいます。心は強制されるものではなく、誰に支配されるものでもなく、完全に個人の自由に委ねられ、個人の最高のそして最大の拠り所となるべきものだからです。自由ゆえに精神は気高いのです。

 渋谷の桜丘にある塾の前のさくらもそろそろ満開です。この時期になるまでじっと時を待ちます。一年のうちほとんどは気にもかけてもらえなくてもひたすらこの時期を待ちます。そしてさくらにとっては花をつけていないときもまたさくら自身として存在しています。人の目を引くときだけがさくらではないのです。何事にも準備期間は必要であり、その準備期間もまた貴重な時間だと再認識させられます。また、散りぎわが潔いので、武士道の象徴ともされたさくらですが、咲きかけたつぼみは満開になるまで、どんな強風にも寒の戻りにもしぶとく耐え、見事にその役割を果たします。思い立ったら最後まで絶対に諦めないと言っているようで、その姿を見ているとなぜか勇気がでます。塾の仕事も、憲法の価値を守ることも共に風当たりも強く泣きたいときもありますが、本当にさくらには毎年元気をもらっています。試験に合格することも受け身の姿勢では成し遂げられません。それと同じように人権と平和は守ってもらうものではなく、私たちが主体的に守っていかなければならないものです。志高く自由に主体的に生きる。塾の前のさくらはこのことの価値を改めて教えてくれます。ちなみにさくらの花言葉は精神の気高さとすばらしい教育だそうです。