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2004年5月 1日 (土)

第105回 新しい芽

 先ほどイラクのファルージャでまたも大規模な空爆が始まったとのニュースが流れました。何の罪もない小さな子どもたちがまた死んでいきます。いったいこの子どもたちが何をしたというのでしょうか。なぜこんなに苦しめるのでしょうか。

 昨年の戦争終結宣言のときに、人的犠牲は最小限に抑えられたといった新聞がありました。人命も政策実現のためのコストとして扱われます。攻撃する側からは最小限だからよかったといえても何万人も死傷しています。人生を狂わされています。今でも痛がっています。泣いています。人数の問題ではないはずです。人の命はひとり一人たった一つなのです。

 ファルージャでは停戦中もアメリカ軍の狙撃兵によって救急車に銃弾が打ち込まれたり、白旗を持ったお婆ちゃんが撃たれたりしています。13歳にもならない子どもがライフルをもって怯えています( http://www.onweb.to/palestine/siryo/jo-fallujah.html )。相手の指導者を殺害することを目的とする文明国家。そして、そのような殺戮の地でありながら非戦闘地域だといって自衛隊を送り続ける首相。劣化ウラン弾による被爆の危険があるにもかからず「元気で帰ってきて」といって自衛官を送り出す国民。国策に反するといって市民活動をつぶしにかかるマスコミ。何かが狂っています。でもこれが目の前にある現実です。

 もうひとつの現実。それは今年法科大学院に入学した人もその半数は法律家になれないことがもう既に決まっているということ。6000人入学させても2000人しか法律家にしません。しかも3回しか新司法試験は受けられない。多様な社会経験をもった人材が法曹の門を叩いてくれたにもかかわらず、相変わらずわかりにくい授業。学部と従来の大学院と法科大学院と3足のわらじを履かされて研究の時間もとれない疲れきった研究者。これも目の前にある現実です。

 ですが、こうした現実の中でも、希望をよせることができる新しい芽が出ています。心ある市民の行動によって人質は解放されました。戦争反対の輪は着実に広がっています。バッシングがおかしいと感じてきている国民も増えてきました。法科大学院でもさまざまな試みが功を奏しているところもあります。

 これからなのかもしれません。そう、諦めるのはまだ早いのです。まだまだできることはあるはずです。最後まで絶対に諦めない。諦めない限り負けることはないのですから。多様な人材を真の法律家として育てる法曹養成機関をつくる。法の支配を通じて世界の子どもたちが一人でも幸せに暮らせる社会をつくる。13歳の少年が武器を持たないで学校に行ける世界をつくる。あらゆる命が共存できる環境の地球をつくる。夢は大きい方がいい。挑戦しがいがあるというものです。

 皆さんもどんなに追い込まれても最後まで夢を捨てないで闘ってください。論理と言葉による説得という武器に磨きをかけて、最後まで闘い続けてほしい。集中力を鍛え上げ、精神の自己管理を徹底し、自分の夢を現実にするのです。意識を研ぎ澄まして今の課題に集中することです。最後は肩の力を抜いてリラックスして意識だけ研ぎ澄ますこと。自然体でどのような結果もすべて受け入れる気持ちになれれば、もう大丈夫です。

 多くの人が自分の目の前の現実を変えることを意識し、その先にある世界を変えることを意識することができたならば、必ず世界は変わります。私はそう信じています。