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2004年6月

2004年6月 1日 (火)

第106回 役割分担

 先日、元レバノン大使の天木直人さんと「外交×憲法=平和」というテーマで対談をしました。有料にもかかわらずこの手の講演会ではめずらしく600人近くの人が小雨の中集まってくださいました。イラクで人質になったフォトジャーナリストの郡山総一郎さんにも特別出演していただいきました。楽屋裏で彼は「私たちが現場をしっかりと伝えるから、そこで起こっていることの意味を多くの人にわかりやすく説明してほしい。自分は伊藤さんにはなれないし、伊藤さんは何も自分のようになる必要はないと思う。」ということを話してくれました。もちろん、私は実際に目の前で人が銃殺される場面に遭遇したことはないし、戦場に居合わせたこともありません。ですが、自分の出来る範囲で行動することはできます。

 そう、役割分担なのです。現場の真実を伝える人、それを解説する人、それを広める人。いろいろな人がいて始めて今起こっていることの意味が伝わり、皆が考えることができます。誰かが現場に行って見てきたことを伝えなければ、国民は無知で世界の出来事に対して盲目になり、権力の言いなりになってしまいます。私たちが真実を得るためには、どうしても現地取材の人が必要です。にもかかわらず、そこで犠牲になったジャーナリストを自己責任と切り捨ててしまう政治とはなんなのでしょうか。やさしさや愛情のかけらもない。人質事件のときもそうでしたが、黙って何でもいうことをきいていればいいのだといわんばかりです。

 民主主義は国民が権力を監視し、批判し、改善を要求することができるからこそ進歩します。権力に従っていればそれでいいのだ、言われたとおりにしておけば幸せなんだという「奴隷の幸せ」を選択するべきなのでしょうか。何でも言うことをきく方が短期的にみれば国が安定するように見えます。しかし、それでは自ら考え行動するという国民の内なる力をそいでしまいます。強いものに楯突くことは大変ですし、ときに大きな反動にひるむこともあります。ですが、必要なことは必要といい、不要なものは不要と言えるような国民がいて、初めて民主主義が成り立つのです。小泉首相に異論を唱えてレバノン大使を解任された天木さんも、自分の考えで行動し続けた郡山さんも、強いものへの盲従とは正反対の信念の生き方を実践している人です。彼らから勇気をもらうことができました。

 チェ・ゲバラという革命家は、冷戦時代、米ソ両大国を公然と批判し、はっきりとした自らの理念に従い、信じる正義のために、文字通り命をかけて闘い続けました。ジョン・レノンが「当時、世界で一番かっこいいのがゲバラだった」と評したその生き様は、希望を求めて生きること、弱者にやさしくあること、強いものに立ち向かう勇気をもつことを教えてくれます。彼の30年後の同じ日に生まれた私には一体何ができるのでしょうか。謙虚にかつ楽天的に考え続けたいと思います。

 何かに従っていれば幸せになるのではありません。幸せは自分から主体的に勝ち取っていかなければならないものです。それが幸福追求権であり、自己決定権です。私
たちも、自分以外の誰かに従う「奴隷の幸福」ではなく、自分のことは自分で決めて堂々と生きていくことができるはずです。そして世の中には誰かがやらなければならない仕事が必ずあります。それを見つけて実行することが、法律家として自立して生きるということだと思います。