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2004年7月 1日 (木)

第107回 民主主義

 自衛隊が多国籍軍に参加するそうです。国民的な議論もなく国会による民主的コントロールもないままに決定され、それが既成事実として追認され、この国の形がどんどん変わっていきます。なし崩し的に国家の根本が崩れていくさまを見るにつけ、この国は「法の支配」の国ではないとつくづく思います。権力を法によって拘束する立憲主義の考え方がここまで無視されると、この国で憲法が根付かない理由がよくわかります。憲法は主体的に生きることをよしとする人間にとってはじめて必要なものです。自由を奪われた庇護の下での幸せや、お上のいいなりになることで幸せを得ようとする、いわば奴隷の幸せをよしとする人間には無用のものです。

 結局、支配する者と支配される者に分け、支配する者がされる者のことを考えて政治を行い、支配される者はそれに従順に従うという構造がこの国の基本のようです。支配される者が支配する側に意見を述べ、自ら参加していくことが民主主義のはずですが、どうやらこの国は違うようです。

 法科大学院構想も同様でした。当事者である国民や学生の意見はまったく反映されず、支配する側が一方的によかれと考える制度が押し進められました。その結果、従来以上に法律家になるためには時間と費用がかかり、しかも苦労して法科大学院に入学した院生の半数も法律家になれないといういびつな制度になってしまいました。

 ですが、いまさら不満を言っても仕方がありません。むしろこの制度を逆手にとって主体的に利用して自分の人生を切り開いていくのです。現行司法試験と別にこうした制度ができたのですから、チャンスが広がったと考えることができます。学生なら現行司法試験と法科大学院の両方に挑戦できるようになったと考えればいいのです。幸い、現行司法試験の勉強はそのまま法科大学院入試に直結しますし、卒業後の新司法試験にも不可欠の内容です。学生なら、学部の4年間と法科大学院の2年間の合計6年計画で法曹をめざすように予めプランを立てておけばよいのです。

 大学に入学して法律の勉強を始め、3年、4年で現行司法試験に挑戦し、それがダメだったときに法科大学院に入って新司法試験をめざします。社会人の方はとりあえず現行試験をめざし、事情が許せばタイミングを見て法科大学院にシフトすることも可能です。また、それまでの勉強を活かして司法書士に挑戦しホームロイヤーの道をめざすこともできます。

 多くの人は国や教授や権威ある人のいいなりに行動しますから、自分の頭で考えて主体的に生きていこうとする人間にとってはむしろチャンスです。長い目で自分の人生設計を考えることが必要です。目の前の短期的な利益に目を奪われるとあとでひどい目にあいます。今でも現行司法試験と法科大学院入試のどちらが簡単ですかと聞く人がいます。もちろん比べるべきものは現行司法試験と新司法試験なのですが、いやなことは後回しにしたいようです。気持ちはわかります。ちょうど大学入試と同じように受かってしまえばこっちのものと思って頑張ったのとよく似ています。ですが、大学に入っただけでは何の意味もなかったのと同じように、法科大学院に入っただけでは何の意味もありません。そこでどのような主体的な勉強をし、将来どのような法律家になりたいのかを明確にして目標設定を行い、そこから逆算して今何をすべきかを決めなければならないのです。

 自分の人生をこうして自分で決めることができるという点では、この国はかろうじて民主主義の国といえるのかもしれません。