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2004年8月

2004年8月 1日 (日)

第108回 意味を問うこと

 今、「平成の論文過去問が一気にみえるようになる講義」という夏期講習の真最中です。正直に言ってきついです。毎日受ける方も大変ですが、講義をする方も準備に追われ寝る時間もありません。各科目30問、80通前後の答案に目を通し、近時の論文試験の傾向を分析し、その対処法を整理し、具体的に役立つ指針を示さなければなりません。その途中には四国での企業人対象の講演や、新規の説明会も入っています。もちろん通常の講義もあります。毎朝3時に起きて準備をしながら、ときどきどうしてこんなに苦しいことをあえてするのだろうと自問自答したくなります。

 私にしてみれば、これを聴くか聴かないかで、短期合格できるかどうかが決定的に違ってくると思って講義をしていますが、受講生の方にとってはどうでしょう。しかし、少なくとも私にとっては大きな意味を持つことがわかっています。自分に与えられた困難な課題に必死になって立ち向かっていき、それを成し遂げたあとに得られる成果を見ると、自分に与えられた課題が決して無意味ではなかったと確信できるのです。もちろん、論文過去問をもう一度徹底的に分析して得られる学問的発見や、出題者の意図、答案作成上のテクニックなど、職業的な成果はたくさんあります。ですが、それ以上に意味があるのは、私がこうして何が起こるかわからないことに挑戦することで自分自身が成長し、生きる意味を見いだせるということなのです。 

 私たちは将来どうなるかまったくわからない社会に生きています。どのような未来が待ち受けているのか、自分の人生にどのような重大な時間が待っているのか誰にも見えません。そのとき自分にどのような唯一の行動をとるべき機会が用意されているのか、少なくとも私には知るよしもありません。

 そのような自分にとっては、今をどう生きるかが、この人生を意味あるものにするかどうかの分かれ目のように思えるのです。人生は私に常に思いもかけない課題を出します。その課題にどう取り組み、乗り越えるか、そのことの連続の中に私自身の生きる意味があるような気がするのです。

 そもそも生きるということは、死という限界を与えられた上での営みです。もし私に無限の能力が与えられていたら、永久の時間が与えられていたら、こんなに努力はしないでしょう。有限の人生であり、限られた環境の中だからこそ、必死になってそれに立ち向かおうとするのです。ということは、様々な制約は私に生きる意味を与えてくれるものだったのです。わずかの可能性を活かしたり、時間を生きたものにしたり、必死になって頭を使う機会を与えてくれたのです。与えられた困難や制約、限界は自分を否定する理由にはなりません。むしろ自分の人生を肯定する根拠になる。こう考えれば、どのような状況であっても事実を受け入れ、前向きに対処できるようになります。

 試験の問題もさまざまな条件や制限がついているからこそ問題として成り立ちます。難しければ難しいほどそれは楽しいはずです。ちょうどオリンピック選手がより早く、より高く、より強くなりたいと願って自分自身に挑戦しようとするように。

 こうして意味を問うこと自体が無意味だという考え方もあるかもしれません。ですが、私は問い続けたい、いや、一瞬一瞬を生きることで答え続けたいと思っています。