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2005年5月

2005年5月 1日 (日)

第117回 現実主義

私たちはさまざまな現実の中で生きています。いつまでも生きられるように思っても、実はいつ突然の出来事によって断ち切られるかもしれない命に頼っています。「多くの政治家が改憲に賛成なのだからいまさら護憲を唱えても仕方がない」という声を聞くことがあります。「やればできる、必ずできる」と人に言うことはできても実際にはなかなかやるべきことができない自分がここにいます。
 人はこうした現実と向かい合いながら生きていかなければなりません。 
 
 現実的に生きようとしていても、実はほんとうの現実は見ていないのではないかと思うことがあります。「誰もが法律家になれるわけはないのだから、慎重に考えて始めないと」という声を聞くことがあります。しかし、どのような試験であっても始めなければ受からないし、始めても弱気になっていては受かりません。法律家になりたかったから勢いで入塾し、がむしゃらに頑張ってきたら合格した。そんな塾生が大勢いるのも現実です。
 「攻められたらどうする」という抽象的な改憲論の主張に対しても、現実の国際政治の中でアメリカの軍事戦略の一貫としての改憲論である現実を私たちはときに忘れがちです。現実的に生きると言いつつ、実は自分に都合のいい現実だけを見つけだしてきて言い訳に使っているに過ぎないことが多いように思います。私は自分でどのような現実を選び取るかが重要だと考えています。
 
 人間は弱い生き物です。ときに間違いを起こし、ときに人を傷つけ、ときに開き直ります。ですが、愛や知性や感性などとてもすばらしいものを持っています。他人を思いやる気持ちを持ち、人のためになる仕事をしたいと本気で考えます。誰かに感謝され、人の役に立ったと思えたときにああよかったと感じることができます。それを自己満足という人もいますが、それでも人の役に立つことを心地よいと感じることができる感性はすばらしいものです。ねばり強く諦めずにひとつのことに取り組むこともできます。

 誰もがこの世に存在する価値があるからこそ生まれてきました。その命を精一杯生かそうと努力しています。勉強を始めることも勇気がいります。でも始めなければ何も変わりませんし、法律家にはなれません。試験を受けて自分の実力を試すことは恐ろしいことだと感じる人もいるかもしれません。ですが、試験で試されるのではなくて、自分の勉強の成果を自分が試すのだと主体的に考えれば何も怖くなくなります。

 試されるのではなくて、自分が自分を試すのです。そしてその結果を元に自分で判断をすればいいだけです。誰かに自分の人生を決められていると感じると恐怖を覚えます。そうではなくて、あくまでも現実を踏まえて自分の人生を自分で決めているのだ、そのための判断材料を試験を通じて得るだけだと思えば、試験の結果を怖れる必要はなくなります。
 
 私たちはよりよく生きるために勉強を始め、試験を受けているだけです。試験のために勉強し試験のために生きているのではありません。その現実をよく認識するべきです。よりよく生きたい、より幸せになりたいという理念を忘れて、目の前のことに振り回されるだけでは、現実主義という思想すらないことになります。より主体的に自分の人生を自分で選択して生きることが大切だと感じています。