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2005年7月

2005年7月 1日 (金)

第119回 生きがい

 私は、自分が人の役に立っているという実感を持てることは自分の仕事のやりがいに通じ、ひいては生きがいに通じてくるものだと思っています。
 
 世界を法の支配が行き届いた社会にするために努力することは価値のあることです。暴力や権力などの力が支配する世界ではなく、きちんと理性に基づいた法による支配が世界の隅々まで行き届き、理不尽がまかり通ることのない社会を人類は目指しています。法を使って仕事をするということは、そのような法の支配が浸透した社会をめざして仕事をするということです。個人的にお金持ちになるというような幸せとは違って、多くの人々の幸せづくりに貢献できるのですから、これほど価値ある人生はありません。弁護士でも司法書士でも、依頼人に心から感謝され、本当にこの仕事をしていてよかったと感じられる瞬間が必ずあります。

 それでは法律家として活躍するまでは人生の価値がないのでしょうか。私は、人生が自分に課している使命を果たすことが、人生そのものだと考えています。自分の苦悩を誰かに代わってもらうことはできません。どのような苦しみも含めてすべてが自分の人生なのですから、それを受け入れて苦しみ抜き、悩み抜くこと、逃げないでその人生の課題に応えようとすることが自分を高め、生きることの意味につながると思っています。試験に失敗したりするとどうしても自分には価値がないと思いこみがちです。試験に失敗したときは本当に価値がないのでしょうか。

 激烈なアウシュビッツを奇跡的に生き抜いた精神医学者のフランクルは、「人が生きているのは、生きる価値があるからだ」と言っています。そしてその生きる価値は、つまり人生に意味を与えるためには3つの方法があり、1つは何かを創造して世の中に与えること、2つめは何かを経験して世の中から得ること、3つめは苦悩に対して何らかの態度をとることだそうです。何かを創り出したときそれは創造価値を高めたことになります。いい景色を見て感動することは体験価値を高めます。そして避けることのできない自分の運命に対してそれを受け入れる際にどのような態度をとるか、どう苦難に耐えるかという人間の尊厳の価値が態度価値です。
 
 私たちは法律家になろうと努力するなかで、この3つの価値を高めることができる環境にいます。法律家になり世の中に貢献することができれば、創造価値を高めることができます。法律という未知の世界を学ぶことはワクワクすることであり、体験価値を高めます。そして試験を経験することで、いろいろな苦難も味わいます。そこでの自分自身の対処の仕方を学ぶことで態度価値を高めることができます。自分ではどうしようもない制限に翻弄されようとしているときに、どのような態度をとるのか、そこで人間の尊厳の価値を高めることができるのです。生きている限り、こうして人生に意味を与えて自分らしく生きることができるのです。ここに存在して今、生きているということから生まれる価値は外見ではなく、その人の生き方、精神に宿ります。

 こうしてみてくると、私たちが生きていることの価値は、日々の態度決定にあることがわかります。つまり、試験に受かるか落ちるかは実は自分の本当の人生の価値に大した差をもたらさないのです。目標に向かって懸命に努力すること、その態度自体に価値があるのですから、結果を思い煩って不安に思う必要はありません。皆さんはいま、懸命に努力している、そのこと自体で崇高な価値ある生き方をしているのです。大切なのは志の高さです。堂々と誇りをもって前に進んでください。