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2005年8月

2005年8月 1日 (月)

第120回 法の支配

世界はますます混迷を深めています。イラクでの米兵死亡者が1700人を越えたことなどが影響して、アメリカでは兵士不足解消のため、予備役召集から徴兵制復活となる可能性も否定できないとの見方も出てきました。ロンドンでの同時多発テロ、エジプトでのテロなど悲しい事件が続いています。また、アジアでも中台問題、北朝鮮の核疑惑、拉致問題、領土問題など、私たちの生活を脅かしそうな物騒な話題には事欠きません。世界はますます暴力と財力がものを言い、不信と猜疑心が渦巻く社会になろうとしているようです。これが人間の現実の姿なのだと突き放して論評してみせるのは、たやすいかもしれません。しかし、それでよいのでしょうか。
 
 最近国家Ⅰ種の公務員試験受験者が減っています。天下り先も年々減少し、低給料での労働を我慢する理由がなくなったとの声も聞かれます。無能な政治家のために走り回らなければならない仕事など真っ平ごめんだというのかもしれません。しかし、当然ながらキャリア官僚の必要性がなくなったわけではありません。これからの国づくりのためにはこれまで以上に優秀なブレーンは必要なはずです。
 
 現行司法試験の受験者も法科大学院志望者もそれぞれ4000人減っています。来年も同様に減少することでしょう。しかし、弁護士過疎地域は依然として50箇所もあり、M&A案件も5年前の2倍に増え、法律家への期待とニーズは急速に高まっています。

 この人材の需要と供給のアンバランスはどういうことなのでしょうか。確かに今は、こつこつ勉強して法律家や行政官になるよりも、もっと手軽に金持ちになる方法があるように見えるのかもしれません。本当にそれがそんなに上手い話かどうかは別にしても、本来社会に必要な仕事を誰もしなくなる。これがよいこととは思えません。

 自分の能力に磨きをかけて、それを人のために生かす、人の幸せの為に尽くすことはとても価値ある生き方です。もちろんこんな青臭いことを言えば、いろいろ言いたくなる人がいるであろうことはわかっています。ですが、あえて言いたいのです。志を高く持ち続けることは価値のあることだと。

 私たちの憲法は、戦争や暴力、恐怖と欠乏のない社会を目指しています。私たちもその実現のために努力をすることが出来る時代と環境にいます。60年前なら口に出すだけでも捕まりました。今は何でも自分で選択することができます。だから私はその与えられた特権を生かすべきだと考えるのです。

 暴力などの力が万能のように見える世界において、人間の理性と知性を信頼して、法の支配する社会を目指すことができます。法を学ぶものはこの世界を法の支配へと変えていく使命を負っていると考えています。私はカトリックの信者ではありませんが、愛されるよりも愛すること、理解されるよりも理解することが実践できたら、この世界は大きく変わるはずです。

 国家権力をコントロールするには、不信と猜疑心が不可欠です。しかし、人間相互間においては、愛と理解に基づく信頼が可能なはずです。「平和を愛する諸国民」( peace loving peoples )は世界中にいます。相互理解と信頼こそがこれからの安全保障の要であると高らかに宣言した憲法の精神を今一度見直し、実践すべきであると思われます。

 そして、 そのために法を学び、 志の高い法律家や行政官になることは、個人の幸せの追求を超えた価値があるはずです。