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2005年10月

2005年10月 1日 (土)

第122回 心の満足

 先日、7つめの法令違憲判決がでました。

 この判決を得るまで弁護士はどれほどの報酬を得たのでしょうか。おそらくその時間を企業法務関係の仕事に費やした方が収入は増えたことでしょう。日本一忙しい裁判官はなぜあえて補足意見を書いたのでしょうか。名誉や報酬のためでしょうか。私にはやりがいのため、自分の存在理由のためとしか思えません。没頭して仕事をすることに喜びを感じ、ひたすら邁進しているのでしょう。

 皆さんは、何のために勉強しているのでしょうか。お金持ちになりたい、地位を得たい、親を安心させたい、困っている人を助けたい。答えはいろいろでしょう。ですが、これらは自分の立てた目標に向かって努力しそれを達成した充実感とともに得られるものであり、いわば頭で考えた満足です。それも大切なことですが、本当の自分の満足はどこにあるのかを少し探ってみましょう。

 本当に自分の心の満足を得られるのであれば、勉強は苦痛ではなくなります。皆さんにもこんな経験はありませんか。勉強に集中して雑念がわかない、勉強しているのにうきうきして楽しい、時間を忘れる、というような感覚です。

 私は受験時代、独自の勉強方法をとっていたので、毎日がとても不安でした。何しろ、自分がやっている勉強方法で合格した人は自分の前に一人もいないのですから。そんな中で、憲法の宮沢先生や芦部先生の論文を読んでいるときに、突然、ぐっとこみ上げてくる気持ちを抑えきれなくなったことが何度かありました。連綿と続く人類の自由獲得の歴史の中で、自分がいま憲法を学べて本当に幸せだと感じた瞬間がありました。法や憲法と一体となった感覚を覚えて震えたことがあります。ですが、次の瞬間、「でも受からなかったらだめだ」と世俗の世界に引き戻されて、不安に襲われるのです。

 こうした経験は自分にとっては貴重でした。この至福の瞬間に得られたものは、世俗的な評価や価値観とは無縁の、真に自分の中からわき出す満足感でした。そしてそのときに、憲法やその法律の本質が見えてきたりしたのです。勉強方法もそうして見つけていきました。一瞬のひらめきを必死で書き留め、その多くを今、皆さんに伝えています。

 勉強して、勉強して、頭から湯気が出るほど勉強して、そしてその集中の中でふっと何かを越える瞬間があり、一気に向こうに行き着くことができるのです。たぶん、仕事も同じだと思います。弁護士であろうと司法書士であろうと、裁判官や検察官であろうと必ず大きな壁にぶち当たります。そのときに諦めるのではなく、必死になって準備し、努力し、勉強していくと、ふっと壁を乗り越えられるときがあるのです。それはまさに至福の瞬間です。

 ですが、そのような瞬間を迎えるには必死で努力しなければなりません。誰よりも準備した者に与えられるご褒美だと思います。私はそうした幸せのために勉強している気がしてなりません。人の役に立った、人助けをしたと周りから評価されるのはその結果にすぎないのです。完全な自己満足かもしれません。ですが、人間は自分の幸せを求めて生きてかまわないと思っています。その幸せの中身が他人を省みない自分勝手なものでは困るというだけです。本当に内発的な心の幸せが得られるのであればそれは、すばらしいことではないでしょうか。自分は今、どのような欲求によって勉強をしているのかをもう一度、問い直してみてもいいかもしれません。