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2005年11月 1日 (火)

第123回 新憲法制定?

先日、自民党の新憲法草案が発表されました。予想されたものよりも復古的色彩が後退していましたが、その内容はいろいろと問題が多いように思います。多くの識者は、これを改正案として読んでいるようですが、自民党自身が言っているようにこれは新憲法の草案です。ですが、そもそも私たち主権者は国会議員に憲法制定の権限など与えていません。改正のための発議権を国会に与えているだけです。

 確かに国会議員が憲法改正の議論をすることは、憲法96条がある以上認められています。しかし、新憲法の制定となると話は別です。改正は現行憲法と連続性を保ちつつ、内容のマイナーチェンジをすることですが、新憲法の制定は既存の憲法の価値を否定して、新たな憲法秩序を構築することを意味します。つまり、現行憲法秩序を否定するのですから、これは明確に憲法99条違反となります。これは一種の政治的クーデターともいうべき行為です。浦部先生が指摘されるようにそもそも平時に新憲法の制定を行う国などありません。百歩譲ったとしても、国民が憲法制定会議の代表を選出して初めて新憲法制定の議論が可能となるはずです。

 このようにそもそも前提に大いに問題があるのですが、その内容にも疑問を感じます。ここでは2点だけ指摘しておきます。
 第1は自衛軍の創設です。しかも単に戦力不保持規定を削除して自衛隊を自衛軍に格上げしただけでは終わっていません。9条の2によって総理大臣を最高指揮権者とし、20条3項、89条1項によって、社会的儀礼の範囲内なら宗教的活動も許されるとして、戦争に不可避の戦死を美化するお膳立てをしています。さらに72条によって総理大臣が閣議決定を経ずに直接、行政各部を指揮監督できるとして、その権限を強化しました。
 この三位一体の構造で戦争へのハードルを限りなく低くしています。現行憲法の一番の特徴であった平和を人権として主張することも廃止し、将来に向かっての積極的非暴力平和主義の展望をも奪ってしまう内容になっています。

 もう一つの大きな問題点は、公の強調でしょう。従来の公共の福祉、つまり人権相互の矛盾衝突の調整という概念を否定し、個人を越える価値として、国家とつながる公益や公の秩序を強調しています。
 本来、公とはpublicつまり人々のはずですが、この国では天皇や国を示す言葉として使われてきました。個人の尊重が最高価値とは言えなくなります。また、国民の義務や責任を強調(前文、12条、13条、29条、91条の2第2項)し、軍事裁判所の規定(76条3項)を置くことで、人権保障規定という憲法の本質を変容させようとしています。
 さらに、憲法改正要件を緩和することは、国家権力への歯止めという最も根本的な憲法の本質を変えてしまう危険性を持っています。

 国民は、新憲法に何かを期待するのかもしれません。しかし、現在の憲法の下でもその価値を実現できているとはいえない状況で、権力への歯止めを緩やかにして国民は何を得られるのでしょうか。
 憲法は魔法の杖ではありません。人に頼ったり、強いものに依存して何かを与えてもらうことを期待したりするだけではだめです。自分自身が主体となって、獲得する努力をしなければ何も得られません。閉塞感から抜け出すには、自分で道を見つけること、自分でもがくこと、自分で苦しむこと、そして自分で獲得することが必要なのです。