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2005年12月

2005年12月 1日 (木)

第124回 誇りと志

 今、構造計算書偽造問題でマンション建築業界は大変なことになっています。どうしてこういうことが起こってしまうのでしょうか。私は一言で言えば、これらの問題にかかわった人々の志によるのだと思っています。本当のところでは何を目指していたのかが、消費者が期待するものと違っていたのです。

 コンプライアンス、法令遵守がこれだけ叫ばれ、多くの有名企業が失態を演じて社会的に糾弾されてきたにもかかわらず、いまだにこうした違法行為を堂々と行っていた企業があるということ自体、大きな驚きですが、それよりも自分の仕事に対するプライドのなさを感じてしまいます。自分が誇れる仕事とは何か、自分がプライドをもってやり遂げる仕事とは何か、そうした問題を投げかけてくれているように思います。

 法曹養成の現場でも、法科大学院が始まり、多くの先生方は大変なご苦労をされています。その中で必死により良いものを作ろうと努力されている方もいれば、そうではない方もいます。この制度はおかしいと思いつつも、制度の中で流されてしまっている方もいます。

 また、受験指導校の中にも、利益を生まないと判断すると、あからさまに現行司法試験から撤退し始めているところもあります。

 何のための法科大学院制度なのでしょうか。予備校つぶしができればそれでよかったのでしょうか。何のための受験指導なのでしょうか。利益を得るための手段にすぎなかったのでしょうか。

 将来、この国の三権の一角を担う人材の養成なのですから、法曹養成は国民の利益に直結のする重大問題のはずです。これからの法曹はどうあるべきなのか。その養成ためには何をしなければならないのか。今、何をするべきときなのか。そしてそのために自分たちは何ができるのか。こうした問題を自分のプライドをかけて、誇りをもって取り組むことが当然だと思っていました。

 私は、誰もが自分の仕事にプライドを持っており、プライドさえあれば、その目的のために皆が必死に努力し世の中は良くなっていくものと甘くみていたところがあります。ですが、考えてみれば何にそのプライドを感じるかは人によってまったく違っていたのです。そしてそれが当たり前であることに今更ながらに気がつきました。

 仕事だけではありません。この国に生まれた人間としてのプライド、アジア人としてのプライド、地球人としてのプライド、今を生きる人間としてのプライド。一体何を誇りとして生きるかは人によって違います。この国の憲法を誇りと感じるか、恥と感じるかは人によって異なります。まさにその人の世界観、人生観に依存します。

 法律家や公務員になって何をしたいのか、どのような法律家、公務員を目指すのか。こうした根元的な問題が今ほど重要なときはないように思います。価値観が多様化しているからこそ、自分の目指す将来像、自分がプライドをかけて取り組む仕事、誇りを持ってなし遂げようとする目標をしっかりと見定めていかなければなりません。

 現実の社会の中で志を高く持ち続けることは大変にむずかしいことです。ですが、皆さんには志の高い法律家、公務員になってほしいと心から思っています。法律はあくまでも手段にすぎません。その法律を使って何をしたいのか。自分はどう生きたいのか。今一度、考えてみても良いかもしれません。