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2006年5月

2006年5月 1日 (月)

第129回 勉強

 最近、「夢をかなえる勉強法」という本を出しました。いまさら、勉強法の本など書いても仕方がないと思っていたのですが、サンマーク出版の編集者の方から声をかけていただき、自分でも何のために勉強をするのだろうかと自分自身に問いかけることができると思い書いてみました。

 自分は何のために勉強してきたんだろうとふと疑問に思うことがありました。司法試験の勉強をしているときも、こんな方法で受かるかどうかわからないのに、なぜ頑張れたんだろうか。報われないかもしれないにもかかわらず頑張ることができたのはなぜだろうかと考えてみました。それは、短期的には、自由でいたいため。長期的には自分がなぜこの世の中に存在するのかその意味を知りたいためでした。

 勉強は自分の将来の選択の幅を広げるためにするものです。試験に合格すると自分の将来の選択の幅が広がり、より自由に自分の将来を自分自身で設計することができるようになります。これは自分の幸せを自分の意思で決定できるということです。憲法は自分の幸せは自分で定義しろという立場をとっており、誰かに幸せの内容を押しつけられることはありませんが、自分で自分の幸せを実現するには、それなりの努力が必要です。それが勉強です。

 勉強をすれば自分で将来何をしたいのかを自分で決めて、自分の幸せを自分で設計していくことが可能になります。だから、過酷な試験でも耐えられるし、それを乗り越えたときに大きな成果として自由が待っているのです。

 司法試験に受かってしまえば、将来の選択の幅が飛躍的に拡大します。初任給で年収一千万を越えるような事務所に行くこともできれば、地方の弁護士過疎の地域にいって地域社会に大きな貢献をすることもできます。M&Aと同じく難民問題も扱うことができます。もちろん裁判官にも検察官にもなれますし、法科大学院の教授になることも可能でしょう。のみならず、政治家や起業も現実的な視野に入ってきます。

 司法書士試験であっても、現在では相当な選択の幅を持っています。簡易裁判所における法廷弁護のほかにも種々の相談業務、家事審判や成年後見、そのほかにも街の法律家として多くの公益的な仕事を行う選択肢が広がります。

 試験は過酷です。勉強は楽ではありません。ときには泣きながら勉強することもあるでしょう。しかし、それらはみな、将来の自分の選択の幅を広げ、自分をより自由にしてくれるのです。私は現実の不自由な社会だからこそ、自由という価値に意味があると考えています。自分らしくありたいと考えるからです。

 私は、人から強制されたり、社会から強制されたりする中で生きることを嫌います。そのためにさまざまな試練も経験しました。ですが、それらがみな自由のためであればこそ乗り越えることができました。

 そして、私にとっての勉強は、自分のミッションを見つけるための手段でした。自分は何者なのか、なんでこのタイミングでここに生まれてきたのか。果たして意味があったのか。たぶん、本当の意味はわからないのでしょう。ですが、それでも自分なりに納得がいくようになると、安心して何事も受け入れられるようになります。あらゆる出来事がすべて自分の糧になると本当に確信できるようになると、誰に何を言われようと、自分の信じる道を突き進むだけという覚悟ができるようになります。勉強はそうした生きる覚悟を決めるためにするのだなと最近、思うようになりました。