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2006年11月

2006年11月 1日 (水)

第135回 いじめ

 最近、連日のように、子どもたちのいじめを苦にした自殺が報道されています。いじめの根は深いです。この国自体が、部落差別、在日外国人差別を続けてきました。自己責任だといって、解放された人質を政治家もマスコミもいじめ抜きました。そして、今、障害者、高齢者を政府は平気で痛めつけています。

 いじめは理不尽な差別であって、人権侵害です。もちろん、原因を単純化することはできませんが、私は、個人の尊重(13条)という憲法の価値観を共有できていない点にあると考えています。大人の世界で一人一人を大切にするという当たり前の価値観が十分に共有できていないときに、人の痛みがわかる子どもに育てるべきだと言ってみたところで無理な話です。子どもは大人社会の鏡です。

 先日、安倍総理は、時代にそぐわない条文として9条をあげ、任期中に改憲をする意欲を示しました。自民党新憲法草案では、自衛軍を持つことになり、「戦争放棄」を放棄しています。そして、国民に、国を支え守る義務を課します。この国防を含む公益および公の秩序に反しないようにしか自由を享受できません。簡単にいえば、個人のための国家ではなく、国家のための個人となります。

 こうした国民を育成するには、教育を変えなければなりません。現在の教育基本法1条は、教育の目的として「個人の価値をたつとび」、「自主的精神に充ちた」国民の育成をめざします。これでは政府のいうことを聞いてくれる国民にはなりませんから不都合です。そこで、政府案ではこれらを削除して、「国家及び社会の形成者として必要な資質」を備えた国民の育成をめざします。つまり、個人よりも国家となります。

 国民には、教育基本法を変えれば、教育現場の混乱を収束させることができると思わせておいて、実際にやろうとしていることはこうした改悪です。政府案では、2条で教育の目標が新たにかかげられ、さまざまな徳目の習得が目標とされます。その中に愛国心が含まれます。さらに6条によって、「学校においては、教育の目標が達成されるよう・・・体系的な教育が組織的に行われなければならない」とされ、強制されることが前提となっています。政治家は法案を通すときには、強制はしませんと必ずいいます。国旗国歌法のときもそうでした。ですが、法律に規定され、達成目標となる以上、強制されます。

 こうして国家のために働く、場合によっては死んでいく国民を育成するための基本法ができようとしています。改憲とまったく同じ目的のものだといえます。私にはどうみても、美しい国とは正反対の方向へ向かっているとしか思えません。