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2007年4月

2007年4月 1日 (日)

第140回 桜

 先週から塾の前の桜が咲き始めました。桜丘という地名のとおり、毎年見事な花を咲かせてくれます。始めはポツポツと控えめに咲いていただけですが、
あっという間に満開になりました。前にもこの雑感に書いたのですが、桜は一年間じっと時を待っています。たぶん、誰にも気にかけてもらえない時期の方がずっと長いはずです。そして、ある時一斉に咲き始めます。いかにも物事には時があるんだと暗示しているようで、示唆的です。

 桜は一年間、誰に見られることもなく、ただ、じっとその時を待って備えています。桜は花をつけていないときも桜です。どのような状態のときも桜であることに変わりはありません。誰かに見られたり、評価されないときがあっても、それを受け入れながら、ある一瞬のためにひたすら準備に徹してきたのです。

 物事には時があります。焦っても仕方がない。時の経過や気温の変化などの条件が満たされなければ花は開きません。今年は暖冬の影響でずいぶん例年と様子が違ったであろうと思いますが、それでもそうした環境の変化にうまく対応しながら、見事な花を咲かせています。

 もちろん、今咲いている花は、去年のものと違います。まったく新しい花が咲いているのですが、毎年、同じような時期に咲きそろうので、どうしても毎年同じ桜の花のような気がしてしまいます。今咲いている一つ一つの花も、よく見ると皆違います。遠目には同じように見えますが、同じように見えて皆違う。一本一本の桜の木も当然違っていますし、その一つの木から咲く花もみな違います。

 よく考えてみると、花がそれぞれ皆違うなんていうのは、造花と違って桜も生きている自然の一部なのですから当然のことです。桜の花の一つ一つが大きな地球の生命体の一部として創られ生かされているんだと実感します。自分の力ではどうしようもない自然の中で桜として生まれた以上は、懸命に自分の役割を果たそうとしているように思えます。

 ひとたび咲き始めると、どんなに春の嵐が吹き荒れても花は枝にしがみついていてなかなか吹き飛ばされません。役割が終わるまではなんとしても咲き続けてやるぞという意思さえ感じます。どんな小さな花にも役割はあり、そこに存在する意味はあるんだと主張しているように見えます。自分の力を出し尽くすまでは、最後まで絶対に諦めないと言っているように思えてなりません。

 一つ一つの花が咲き出したころは、頼りなさそうに見えていた桜の花が、こうして咲きそろうと堂々として威厳さえ感じます。一つ一つの花の存在はたとえ小さく見えても、それらが咲きそろったときの存在感は圧倒的です。そしてやがて新緑に姿を変え、また桜として生き続けます。

 この都会の真ん中で排気ガスに晒されながら、花をつけて咲き誇ることが桜にとってどれだけの意味があるのかよくわかりません。別に人間を楽しませるために桜は花をつけるわけでもなく、また、そこに生き続けているわけでもないでしょう。でも、与えられた環境の下で姿を変えつつも一生懸命に生き続けています。

 桜を見ながら、いろいろなことを考えすぎてしまいました。「単純にきれいと感じてもらえればそれでいいんだよ。いろいろ考えすぎだよ。」と桜に言われてしまうかもしれませんね。あるがままに受けとめろということですか。あっ、また考えすぎてしまったようです。