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2007年9月

2007年9月 1日 (土)

第145回 満天の星

 モンゴルというとホーミーや馬頭琴、満天の星空を思い浮かべますが、先月は横綱朝青龍の顔が浮かんできました。あるアメリカのジャーナリストは、世界では戦争しているというのに日本でこれだけ同じ話題を繰り返し報道しているのは理解できないと言っていました。マスコミのあり方もさまざまです。

 私などは憲法の観点からちょっと気になっていました。「繁華街に出てはいけない」、「モンゴルに帰ってはいけない」などは、居住移転の自由、出国の自由の制限が問題となります。外国人の人権、私人間効力、部分社会の法理などけっこう論点が出てきます。皆さんが法律家として相談を受けたらどのようなアドバイスをしますか。

 たとえ外国人であっても横綱である以上は、それらしく振る舞うべきであるという声も聞きます。相撲は単なるスポーツではなく日本の国技であり、伝統文化なのだからということのようです。朝青龍は自分の意思でこの道を選んだのだから、日本の風習に従えというわけです。

 ですが、かつて、人々に有無を言わさず、日本の風習を強要した時代がありました。明治憲法下で、朝鮮半島や台湾など日本の植民地に住んでいた人々は、大日本帝国臣民として日本民族に同化させられ、日本名や日本語の強要、天皇崇拝などの皇民化政策がとられました。反面、帝国臣民として日本の国籍を持ち、制限はあるものの参政権も保障されていました。

 戦後、日本が台湾、朝鮮などの旧植民地に関する主権を放棄したことにより、旧植民地の人々は日本国籍を失い、外国人として生活することを余儀なくされます。これにより日本における生活実態が何も変わらないにもかかわらず、参政権や社会権も保障されなくなりました。

 戦前は、強制的に日本人とされ日本民族との同化を強要した上で参政権を認めていたのに、戦後は、強制的に日本国籍を奪い外国人として扱って参政権や社会権を認めません。生活の実態は何も変わらないにも関わらず、同じ日本の中ですら、国家の都合によってこのように人権が認められたり奪われたりしているのです。

 世界に目を転じると国によってあまりにも一人一人の人間に対する扱いが異なっている現実を知って愕然とします。人間の命や尊厳に対する扱いは、人間を対象とする以上は同じでなければならないはずです。それが人間である、ただそのことから認められる人権のはずです。

 ところが、現実には、たとえば、世界では死刑制度が廃止されている国もあれば、ますます勢いを増している国もあります。世界の死刑執行の81%は中国、イラン、アメリカに集中しています。最近アメリカでは、死刑囚のうち124件もの冤罪が判明し司法制度への信頼が揺らいでいますが、日本では立て続けに執行されました。

 拷問は未だに150カ国以上で行われているそうですし、世界では7人に1人が日々飢えています。世界で3人に1人は戦時下に暮らしていて、世界中の紛争地域で戦う子どもは30万人いるそうです。そしてなんと未だに2700万人の奴隷がいるのです(「世界を見る目が変わる50の事実」ジェシカ・ウィリアムズ、草思社より)。民族や人種、文化の独自性を認めつつも、それらに関係なく、一人一人が人間らしく自由に生きることができる社会は、まだまだ遠い先かもしれません。

 モンゴルの満天の星空の下では、人間の存在はどのように感じられるのでしょうか。理想を追い求める元気をもらいに一度は行ってみたいものです。