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2008年2月

2008年2月 2日 (土)

第150号 『求めない』

 先日、山形の雪深い山村にある全寮制の高校へ行ってきました。例によって憲法の講演です。70人ほどの生徒たちは、自ら食べるものを作り、働き、学んでいます。敷地を流れる清流では、なんと岩魚が獲れるそうです。広い空や草木、鳥や野生動物などの自然に囲まれ、人が生きていくために本当に必要なものは何かを、身をもって体験しながら、力強く学んでいました。

 もちろん、カラオケもゲームもなければテレビもありません。渋谷の高校生たちのような華やかさはありませんが、いかにも活き活きして楽しそうでした。何もない状態というのは何ものをも吸収できる状態なのです。

 何かがいっぱいに詰まっているよりも、真空状態のほうが、大きな力で吸い込んでいきます。空である、ということは、まさに未知のものが入っていく可能性が無限にあるということにほかなりません。一見、不自由な生活のように見えても、実は誰よりも自由であり、満たされた生活なのかもしれません。

 むろん、私にまねが出来るような生活でないことはわかっています。都会の人ごみの中で生きる人間の単なる憧れなのかもしれません。しかし、彼ら彼女らの姿には自然の中で活き活きと生活をすることの喜びといったもの以上の強さや自信、そして知性を感じたのです。

 山里での狭い閉じられた世界に生活しているはずの彼らが私に質問してきたことは、補給支援特措法や世界における日本の国際貢献のあり方についてであり、日本のマスコミの報道姿勢や日本の政治には何が求められるかです。社会に対する問題意識はとても高く、広く世界に目を向けていると感じました。

 さまざまな雑音に惑わされない分だけ、意識は自由であり、自分の関心あるものに打ち込むことができるのです。余計な情報に振り回されないからこそ、自分が本当に必要とするものをとことん追求し、深く考えることができるのかもしれません。また、自分が求めるものと求めないものがはっきりしているので、足ることを知り、生きることへの満足感が高いのかもしれません。

 自分に必要なことと不要なことを明確にできる、言い換えれば、思い切って不要なものを捨て去り、自分に必要ないものを求めないと決断することができれば、とても楽になれます。そして強く生きることができるのです。

 私たちは勉強するとき、時として何もかも求めようとします。短時間での理解や完璧な記憶、択一の力や論述力、楽しい勉強と試験の合格。こうした勉強の成果の他にも、良好な親子関係や友人、異性とのつきあい、おいしいご飯やきれいな洋服など、どれもこれも甲乙つけがたい欲求ばかりです。

 ですが、何もかも求めることによって、結局何も得られないということを私たちも経験の中から知っています。今、何を求め、求めないのか、今、何を維持し、捨てるべきなのか。その優先順位を明確につけられる人の所には、本当に求めているものが自然と吸い寄せられてくるものです。

 自分の潜在能力を生かすためにも、本当に求めているものを明確にして自分に素直に生きることが大切です。何も、すべてを捨てて勉強に専念しろと言っているのではありません。今一度本当に自分に必要なものは何かを冷静に見つめなおし、それが明確になったら、あとは余計なものに手を出さずに努力するだ
けです。

 私たちは時間などを制限された環境にあるからこそ、求めないという決断をせまられます。難しいことではありますが、それをかえって喜ぶくらいの心の余裕を持ちたいものです。