« 2009年1月 | メイン | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月 2日 (月)

第162回 法律家

先日、あるインターネット会社の法務部長に招かれて、社員の皆さんに「インターネットと表現の自由」に関する講演をしてきました。渋谷の一等地のビルを何フロアーも使っている会社の法務部長はかつて伊藤塾の塾生でした。司法試験の勉強を何年かしていたのですが、転進して今では大きな会社の取締役法務部長です。

インターネットを扱っている会社では、警察からネット上の記述の削除依頼などがあると、何も考えずに応じてしまうことがあるようです。しかし、彼はたとえ相手が警察であろうと、政治家であろうと、理由を問い、理不尽な要求にはけっして屈しません。

権力や強いものにおもねることなく、堂々と渡り合うこうした姿勢は塾での憲法の勉強の中で学び取ったものだそうです。彼は弁護士にはなりませんでしたが、今では多くの弁護士を使う立場にいます。そして、利用者の表現の自由やプライバシーなどの人権を守るために日々、戦っています。試験に合格しなくてもこうして立派に法律家として活躍している人がたくさんいます。

他方、合格しても「人権なんてどうでもいい」と言い切ってしまう人もいます。
確かに試験に合格するという一点で考えた場合、憲法も試験科目のひとつにすぎませんから、「点取りゲーム」と割り切って勉強することも実は大切なことです。

しかし、伊藤塾で学ぶのであれば、そこで終わってほしくないと思っています。
合格後を考える姿勢は、法律家としての自分の将来を考えることを意味します。
ベタかもしれませんが、私は、弱い者を助ける、権力など強い者の横暴を許さない、理不尽に抗う、こうした信念や原理原則を持っている者が法律家だと考えています。単に法律を金儲けの道具としてしか活用できないのであれば、法律家ではなく、多少頭が切れる法律屋にすぎません。

憲法は人権保障の体系です。その憲法を学ぶということは、人権を保障する方法を学ぶことを意味します。
なぜ、司法試験で憲法が試験科目になっているのか。それは裁判官、検察官、弁護士が法律家だからです。
なぜ2003年から司法書士試験でも憲法が試験科目に加わったのか。それは司法書士が法律家として位置づけられたからなのです。
法律家の役割は、端的にいえば、市民の人権を擁護することにあるからです。

法律家には自律と自立が求められます。困難に直面している人を相手にしますから、人の弱みにつけ込もうと思えば、いくらでもつけ込める。だから、自らを律する高い職業倫理が必要となります。

また、新しい問題に直面したときに、自分の頭で考えて、自分の価値観で意思決定し、その結果に自分で責任を取る、自立したプロでなければなりません。そして何よりも、国家や権力、強い者に寄り添って、これらに依存するのではなく、真正面から対峙して、独立していなければならないのです。たとえ権力の中にあっても、裁判官、検察官は法律家として自立していなければならないのです。

私が尊敬するある教育者から「自分の生活のなかに、存在を賭けても守りたいほど大切なものを培っておくこと。それが、社会と対峙するときの抵抗の核になる。」という哲学者森有正の言葉を教えていただきました。私は、真剣に法律を学ぶ中で自分自身のPrinciple・原理原則を見つけることができるはずだと信じています。

経済的効率性では測れない価値基準を持って行動することが、法律家の存在意義にほかなりません。今のような時代だからこそ、真の法律家が求められているのです。皆さんに期待しています。