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2009年6月

2009年6月 3日 (水)

第166回 時間の過ごし方

5月から11月までさまざまな試験が続きます。試験は時間との闘いです。直前期には「もっと時間があれば」と誰もが思い、試験時間中は時間配分が勝負を決めます。そして終わった後は発表までの重苦しい時間が待っています。発表後の時間は人によって天と地ほどの差があることでしょう。同じ時間なのにどうしてこれほどまでに時期によってまた人によって感じ方が違うのでしょうか。

時間そのものは中立です。ニュートラルな時間にどのような意味づけを与えるかは、その時々の自分に他なりません。苦しみを与えるか、喜びを与えるか、充実した時とするか、無為な時間とするかはすべて自分次第です。そして、過ぎ去った時間をどう評価するかも自分次第です。私も後から振り返ってみて、ああすればよかった、こうすればよかったと反省することばかりです。

法律家として仕事をするときに、今という時間をどう過ごすかは、単に自分の満足感という以上の意味を持つことがあります。人の人生を左右し、世の中に大きな影響を与える効果を伴うことがあるのが法律家の仕事です。後から振り返って後悔するような仕事は誰もがしたくないでしょう。できれば評価されるような仕事をしたいと思うかもしれません。しかし、考えてみれば、後で後悔はしたくない、でも評価されたいというのは虫がよすぎます。後から評価されるということは、ときにマイナスに評価されることもあることを覚悟しなければなりません。

自分が過ごした時間つまり自分の仕事を人にどのように評価されるかを気にし始めると、大きな罠にはまる危険があります。他人の評価を意識して今という時間を過ごそうとすると、自分らしく生きることができなくなります。ときに息苦しくなるかもしれません。手柄を意識しすぎて失敗するかもしれません。法律家の仕事は他人や後世の評価を気にしてやるようなものではないと考えています。もちろん依頼者の満足などを考慮しなければならないことはあるでしょう。しかし、それもそのときのベストを尽くせばいいだけであって、後からどう評価されるかなどは考える必要もないことです。

法律家の中でも裁判官の仕事は、判決という形で結果が残ります。その意味では後の評価をどうしても意識してしまいがちな仕事です。これを淡々とこなすことは相当な精神力がいるはずです。

先日、「長沼事件・平賀書簡35年目の証言」(日本評論社)という貴重な本が出版されました。第1部には、海軍兵学校出身で軍隊時代の仲間と軍歌を歌う福島重雄元裁判官が長沼事件1審で自衛隊違憲判決を出したいきさつが描かれています。違憲判決は、裁判官として憲法と自衛隊の関係を誠実に見ていった結果にすぎないことがよくわかります。「僕は自分の仕事をその通りにやっただけで・・何も変わったことはやっていない。」「僕は平凡な人間です。たまたまこの事件を担当しただけです。・・・僕が言ったからとかそんなことは関係ない。だれであろうと、たまたま僕がそこで言わされてしまったというだけです。」

まっとうな憲法感覚をもった法律家が、後の評価など考えもせず、ただ与えられた役割を果たしただけだということなのかもしれません。ですが、それがどれほど困難で勇気がいることか。そこに裁判官、いや法律家としての理想の姿を見る思いがしました。

今、皆さんは日々淡々と勉強し、目の前の問題に誠実に、真正面から向き合うことが求められています。それは、将来、与えられた仕事を淡々とこなす訓練になっているに違いありません。他人の評価など気にせず毎日を懸命に過ごしてください。応援しています。