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2009年7月 3日 (金)

第167回 ABC兵器

原爆症訴訟で国は18連敗するまで、認定基準を厳しく制限してきました。自国民を核兵器の被害者として認定することすら、補償の範囲が広がりすぎて財政的負担が増すことを理由に躊躇していたのです。人の命や健康と金銭を比べて、後者を選択するという政治を自民党、公明党は続けてきたわけです。こうした政治の下で原子爆弾という兵器は、その瞬間だけでなく、現在まで被害者の方々を苦しめてきました。

日本は原爆という許されざる兵器の唯一の被爆国になりましたが、同じ戦争で中国に対して毒ガス兵器や細菌兵器を使った加害者でもあります。これらの兵器は1925年に署名されたジュネーブ・ガス議定書によって禁止された戦争手段であり、明確な国際法違反でした。

こうした兵器による死者だけでも数万人いますが、終戦のころ、日本軍が危険な毒ガス兵器を中国各地に遺棄してきたため、そうとは知らずにそれらに触れて被害を受けた方が現在でも2000人以上います。その事実確認のため、中国スタディツアーでハルピン、チチハルを訪ねてきました。

2003年8月4日、チチハル市内において、団地の建設現場から5つのドラム缶が掘り出され、中から漏れた液体を浴びた作業員、ドラム缶を運んだ人、その解体作業に従事した人などが被害に遭いました。さらに悲惨なことに、液状の毒ガスで汚染された土を整地のために購入した近隣住民や、中学校の校庭に運ばれた土山で遊んだ子どもたちも被害に遭ってしまいます。44人の被害者のうち1人は亡くなっています。

この毒ガスは致死性のびらん剤で、皮膚をただれさせ腐らせます。細胞を破壊し内臓に影響し、脳の中枢神経をも冒します。被害は進行していき、完全な治療法はありません。5人の子どもを含めた被害者の方々は、周囲からの差別もあり、事故以後、とてもつらく悲惨な生活を余儀なくされています。

その後も同じような事故が起こっているにも関わらず、政府は未だ被害者に謝罪や賠償の意を込めた補償をしていません。日本軍が遺棄したあと、日本政府が適切な処理をしてこなかったことによってこうした被害が現在でも起こり続けているのです。

国の言い分はこうした被害の予見可能性がなく、結果回避可能性がないから責任はないというものです。ここでも、賠償を1つの事例でも認めてしまうとその波及効果から金銭的な負担が増えてしまうことを恐れているようです。

このように日本人だけでなく外国人に対しても、健康よりお金を優先させる政策を堅持してきたのが日本政府です。日本が独裁国家なら被害者と一緒になって、とんでもない政府だと批判していればよいのですが、民主国家であるためそうはいきません。つまり、こうした政府の行為は私たち国民の政権選択の結果にほかならないのです。実は私たち主権者が、こうした問題を人ごとと考え、真剣に本当の救済を実現しようと思ってこなかったことの結果です。

近々、政権交代をかけた総選挙が行われます。国民が50年以上支持し続けてきた政治にピリオドを打つことができるかは、まさに国民の主体的な意識と行動にかかっています。
また、7月29日には東京地裁で被害者の子どもたちの証人尋問があります。可能な方はぜひ、傍聴に出かけて、日本という国のしてきたことと悲痛な被害の現実をみてください(http://cweapon.sakura.ne.jp/mt/)。